そのまま突き進め

五歳八ヶ月になる息子が初めて自転車に乗った。

 

 

二、三歳の頃からバランスバイクを華麗に乗りこなしていたので、それを見たお客さんに「補助輪なしでも、すぐに乗れるようになりますよ〜」とは言われてはいたのだが、本当にほんの一瞬でスイスイ乗れちゃったもんだから驚愕した。

 

 

でも、なんかこう自分の時はもっと苦労&苦悩した記憶だったので、ちょっとだけ悔しい。

 

 

自転車を買おうと言っても乗り気じゃなかった息子が、自転車屋さんに行って御目当ての自転車に乗った途端にテンション上がりまくりだったのは可愛かった。
きっと怖いだろうに、それなりのスピードを出した勇気にもグッときた。
乗りながら、ザ・クロマニヨンズの『流行のクルマ』を口ずさんでいたのもナイスな選曲だ。
それでいい。
何もかもそのままその調子でいい。

 

 

今日も屈指の名場面を目の当たりにさせてくれて、どうもありがとう。
乗れた瞬間を写真に撮らなかったけど、シッカリと脳裏に焼き付けられたから、これでいいのだ。

そろそろ枯れ始め

今、私の中でもうかれこれ通算428回目ぐらいの FISHMANS ブームが到来しているのです。
この定期的にやってくる心地好い波に気ままにライドオンするわけです。
もう二十年も前に奏でられた音の何が私をこんなにもくすぐるのだろうか。
その答えを求めたこともないが、多分きっとそんな答えはないのだろ
う……

 

 

だなんて甚だ面倒くさく気持ち悪いことをぼんやり考えてしまうのもFISHMANSの音楽がもたらす効能。
このブーム。
二十年間ずっと何度も繰り返しているのだから、これからもずっと何度も繰り返すことだろう。

 

 

先日来てくださった五十路後半のお客さんが「これからどんどん枯れていきたいんだよ……」と言ってました。
おしゃべりで元気はつらつではなく、静かにそっと佇んでいるようなそんな爺さんになりたいそうなのだ。

 

 

この願い。
私もちょっと共感させてもらったのですが、そうなるためにはじゃあどうすればいいかと言うと、そこに明確な答えが見当たりません。
なので、せめて道標だけでもと思うとそこで必要なのは自習ではないかと。
いい音楽を聴いて、いい映画を観て、いい本を読んで……
誰に指示されるわけでも、支持されるわけでもなく、はたから見たらひょっとしたら怠惰な時を過ごしているかのように自習したいものです。

 

 

はい、これからは自習の時間!

 

 

と言われ、そこ自習する何かがあることをひょっとしたら教養と言うのかもしれませんね。
なんつって。

 

 

こんなことをぼんやり考えているときにジャストフィットスムーズインするのが FISHMANS の音楽なのです。

 

 

さてと。
『空中キャンプ』でも聴きますか。
もちろんレコードで。

 

 

股旅。

今朝ふと思いだしたんだった

今朝、ふと二十数年前にちょっとだけ就職活動をしたときのことを思い出した。

 

 

履歴書に自己PR文を添付せよとのことだったので、自分の好きな人物、影響を受けた人物をかたっぱしから書いたものを提出した。
文豪、映画監督、音楽家、歴史上の人物、芸術家などを古今東西問わず並べ、最後に「みんな大好き!みんな自分のどこか一部になっている」と添えた。

 

 

某会社の面接で「良い自己PRだね〜」と褒められ、気を良くはしたのだが、他の会社へ提出する自己PRはまるで違う手法のものにした。
なんだか同じものを出すのが嫌だったのだ。
ココで「褒められたんだし他のところも同じもので勝負だ!」とやれる人は人生の勝利者になれるのかもな……と薄ぼんやり思う。

 

 

別にバレるわけないわけで、そこ出せよ!と今になっては思うのだが、当時のヤングテッペーにはそれが出来なかった。
なんだか照れくさかったのだ。
ちょっと褒められたぐらいで調子に乗るなよ!
と自戒していたのだと思う。
何せ褒められたとはいえ内定が取れていたわけではないからだ。
むちゃくちゃ自惚れているくせに自惚れていると思われたくないという自惚れ具合。
痛々しいったらありゃしないわけである。

 

 

テレビを見てて、芸人の方が以前見たことあるネタをやっている時なんだか冷めてしまう自分がいる。
これをやればウケる。
そう保障された上でやっているのだろうなと思うと、なんだかそれってちょっとどうなのよ?と生意気に思う。
ただテレビ見て鼻くそほじっているど素人のくせにだ。

 

 

でも、ダウンタウンの松っちゃんは著書で「同じネタはやらない。なんだか恥ずかしいから」と言ってて「これだよ!これなんだよな!」と勝手に共感させてもらった。
甲本ヒロト & 真島昌利先輩もレコーディングのときに何度も演奏すると飽きるから基本一発録り、多くて二、三回演るぐらいだとインタビューで語ってて、これまた「そこでしょ!」と激しく同意させてもらったんだった。

 

 

まあ、このお三方は別格なので、普通に生きていく上だったら、こうじゃない方がきっといろいろと上手くやれるのだろうと思う。

 

 

自分の仕事に関しては、今のところ飽きてしまう気配が微塵もないので安心している。
一瞬飽きるのは良いと思う。
というか、むしろ一瞬飽きるってのは必要かもしんまい。
一瞬飽きるけど、すぐに持ち直す。
その繰り返しがサラリとできればフィルソグー。

 

 

ときには自分の感覚に疑いを持って「いや……ちょっと待てよ……これってどうなのよ?」と自問し、そのあと「やはり、コレでいいのだ!」となれればロックンロールなわけである。

 

 

話が行方不明になってきたところで、ちょいとお暇する。

 

 

股旅。

何をどう大切にするか、それが大事。

一昨日、十一月三日はレコードの日でした。
それはもう垂涎もののレコードが、これでもかってぐらい発売されるのでテンションダダ上がりなわけですが、もちのろんで全て手に入れるなんて夢のまた夢なのです。

 

 

「何か欲しいものある?」

 

 

と訊かれて出てくるのはレコードと本ばかりな私ですが、道端で助けた浮浪者が実は大富豪だったりして「じゃあ百万円差し上げるからレコードを買いなさいな」と言われても、多分レコードも本も買わなそうです。
なんでそうかというと、そうなると私はきっと大切にしないと思うのです。
大切に聴く。
大事に聴く。
これって重要なんですよ。

 

 

レコードそのものを戴いたときは、ちゃんと大切にしますよ。
けど、お金を戴いて自分で選んで買ったら、そうならない。
こんな気持ち、きっとわかっていただけることでせう。

 

 

昨夜、五歳七ヶ月になる息子に「俺がお父さんにレコード買ってあげるよ。五十円ぐらい?」と言われたのです。笑
それはもう絶対に大切にしますね。
五十円で買えるレコードを探しまくって厳選して。

 

 

私がレコードと本が大好きで、いつもとても欲しがっているというのが息子にバレているのが嬉しい。
それもまた父の背中の一部分だと思うのです。
息子よ、実はその二つにプラモデルも加わるのだ。
一緒におもちゃ屋に行ったときにいつもプラモデルコーナーで立ち止まる父の姿を何度も見ているはずだ。
そのときの私の目は、キミが恐竜のおもちゃを見ているときと同じ輝きを抱いているはずだよ。
よく見といておくれ。

それはきっと宝もの

息子画伯の描く恐竜(or ゴジラ)のクオリティが日に日にアップしているのを感じる。
今朝は切り抜いて立たせようとしていた。
2Dから3Dへとは大きな進化だ。
そしてその発想の自由さに感嘆すると同時に羨ましくもなる。
ついつい口を挟みたくなるのだが、自分の発した言葉のあまりのつまらなさにガックリ来る。
でも口を挟む。
息子に多少煙たがられようとも大いに挟む。
これでイイのだ。

 

 

『野の春: 流転の海 第九部』(宮本輝著)が届いた。
三十七年前に執筆を開始した『流転の海』もとうとうこれで完結。
僕が流転の海(第一部)を初めて読んだのは高校生の頃。
なので、このシリーズとは三十余年の付き合いになるのだが、正直最後まで書けぬまま終わるんじゃないかと思ったときもあったから嬉しい。
今後の人生で三十年以上付き合う現在進行形の小説はきっと現れないだろう。
そういう作家も現れないと思う。
だから勝手に僕はこの完結をものすごく尊いものとして受け止めている。

 

 

宮本輝先生の描く世界観とその文体は、僕に「いつか物書きになってみたいな〜」という今思い返せば甚だ恥ずかしい夢をもたせてくれた。
そして先生の文章によって「いやいや、こんなの絶対書けませんって!」と諦めさせられもした。
これだけのことを書くからには何かを失わずには無理。
そしてそもそも、失う何かすら持ってない自分なんてしょうもないウツボ野郎。
こう結論づけるのに多少時間がかかってしまったが、気づけたんで良しとする。

 

 

ちょいと読み始めるのがもったいないので、リハ気分で『田園発 港行き自転車』(宮本輝著)を読んでいるのだが、これまた面白くて困る。
なんてことない展開なのだが、ここまで惹きつけられるのはなぜだろうなぜかしら。
正直、生意気ながらも「ん?」って感じる箇所はある。
それはきっと僕が年を重ねたからだろう。
意地悪な目線で読んでしまう己がいるのだ。
宮本輝先生の若かりし頃の傑作を読んだときのような興奮はない。
でも、それもまた良しなのだ。
これもまた長く付き合えた作家さんだから、そう感じるのだ。

 

 

我が人生において、こういう作家さんと出会えたことは宝だ。
初めに宮本輝作品を薦めてくれた兄に感謝しなくては。
そして妻さんと同居を始めたときに、妻が実家から持ってきた本の中に『青が散る』(宮本輝著)があったときの驚きと喜び、これもまた僕の人生の宝になった。

 

 

それではそろそろ。