木も見ず、森も見ず……

今日は定休日なのだが朝から野暮用で出動。

こんなときはこれだねと車内BGMに “ゆらゆら帝国Ⅲ” をナイスチョイス。
カッコ良すぎて鼻血ブーである。

車内だけでなく自分の人生のBGMにもしたいくらいだが、振り返っても全然カッコ良くない我が半生。
もし私の生活のバックにゆらゆら帝国が流れたら、きっと誹謗中傷の雨あられだろう。

誹謗中傷って、若い頃はあんまり聞いたことのない言葉だった気がする。
ネットに世の中が飲み込まれてしまってから、よく耳にするようになった気がする。

中傷はなんとなくわかる。
でも、誹謗って何よ?
あまりよくわかってないくせに、私はこの言葉を使っている。
なんとなくな雰囲気で。

いつか、何気なくさらっとさりげなく使ってみたい言葉がある。

それは「ゲシュタルト崩壊!」。

使ってみたいぜ。

ゲシュタルト崩壊とは知覚における現象のひとつで、全体性を持ったまとまりのある構造から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象のこと……らしい。
痛快なくらい全然わからん。

簡単に言えば、木を見て森を見ず……的な?

けど、使ってみたいぜ。
会話の中に、普通にサラッと折り込みたい。
何の嫌味もわざとらしさもなく。
そういう知的マンに私はなりたい。

敬愛する高田純次先生は「木も見ず、森も見ず」って言ってたけどね。
その突き抜け感、底抜けのくだらなさ感にも憧れるけども。

では股旅。

突然の贈物

「遅ればせながら二十周年おめでとうございます」

と、二十年以上のお付き合いをさせていただいている(つまり独立前から)お客さんから頂戴しました。

WILLIE “THE LION” SMITH も、映画「Reality Bites」も大好物です。
どちらもとっても良い味が出てるよ。
ありがとう!

いつの間にやら、お互いオッサンになりましたね。

理髪師とお客さんとしての関係で共に年齢を重ねていける喜び、プライスレス。

さてと、相応しい額を探さなくちゃ。
飾らせていただきます。
心底感謝。

心地良き変化

昨年の晩夏あたりからギターにどんどん傾倒していった小6息子11歳。

口を開けばギターと敬愛しているミュージシャンの話ばかり。
ギターの専門用語なんて、私には暗号のようにしか聞こえなくてチンプンカンプンなもんだから少々息子に申し訳なく思っている。

年始の店休日も彼方此方の楽器屋巡りのギター三昧で、気分はちょっとウンジャラゲではあったのだが、私の音楽の聴き方に変化が生じたのを感じた。

音楽を聴いているとき、いつの間にかギターの音色に耳を傾けるようになっていたのだ。

どんな風に弾いているのかしら……
どんなエフェクターを使っているのかしら……

全然正解には辿り着けないのだが、これが案外楽しい。
この年齢になっても変化というのは訪れるのだな。
既に自分はコリッコリに凝り固まっているオッサンなのさと勝手に思い込んでいただけなのかもしんまい。

ステッカーチューンを施した息子の愛用ギターにも刺激を受けた。
はじめは、どんだけダサくなってしまうのか……と心配してたのだが、その仕上がりのバランス感覚には嘆息した。
多過ぎず少な過ぎず、ベリー最高に丁度良い塩梅で息子は止めていたからだ。
この「止める」っつーのが癖者で、案外難しいのである。

なかなかやるな……

親バカオヤジは一人静かに悦に浸っているのである。

股旅。

今年もよろしくお願いします

親愛なる皆々様、元気にお過ごしでしょうか。

旧年中はあらためて考えさせられる事の数々、これで良かったのか?と自問を繰り返す日々を過ごしておりました。
今年は少しずつでも自答出来たらなと目論んでおります。

物事の大半において、正解というのは大概の場合、多分ないのである。

半世紀ちょっと生きながらえて得た、人生の教訓の一つです。
こう考えられるようになって、人により優しくなれたような気がしないでもない元日の早朝であります。

末筆ながら首都圏郊外所沢市三ヶ島より、乙巳の本年が皆様にとってより良いステキな年になりますよう心よりお祈り申し上げます。

聞いた話によれば、乙巳は「努力を重ね、物事を安定させていく」という意味合いを持つ年とされているそうです。
今現在の私の心持にジャストフィットスムーズイン。
それを成し遂げ、より笑える機会を作ればなと願っております。

2025年 元旦
DOODLIN’ BARBER SHOP店主 高崎哲平 拝

新年は五日より営業いたします。

私もまたポップ中毒者である

私は人様の髪を切り、その散髪料を糧にするという仕事を生業にしている。
しかも、たった一人で20年あまり営業しているので、極めて緩やかな仕事場である。

今日は定休日なので、買い物のために朝から西へ東へクルマを走らせた。
車内のBGMはラジオに任せるのが良い。
自分のかけたい曲を流すと、その自分の思いが重いのだ。
ときに、そこに自分の感情を乗せたり、意味を求めようとしてしまう。
それが重い。

ラジオは受け身だ。
そこで「ザケンナヨ!」と絶叫したくなるような音楽が流れても、それがちょっと面白かったり刺激になったりもする。
自分の選曲だと、その“オレがオレがオレ様が感”がくたびれるのだ。

で、今パラパラと捲っている本は川勝正幸さんの『ポップ中毒者の手記(約10年分)』だ。
我ながらまたしても“今更感” 満載なのだが、今読むべき本な気がしてならないので手に取った。
カッコよく言えば、閃き(インスピレーション)に従った上でのナイスチョイスなのだが、実際はただの気まぐれ、ただの思いつきで読んでみるべとなっただけである。

でもまぁ、タイミングってあるよね。
まさに今だなって瞬間が。
その瞬間に乗れたときが気持ちいいのよね。

余談だが、ジプシーキングスの『inspiration』は超名曲である。

股旅。