それなら充分

近頃、どうにも本が読めていない。
読みたい本がたくさんあるのに本が読めない症候群に陥っている。

理由は明白で、何しろ映画やらドラマが面白くてしょうがないからだ。
「映像を観る」から「文字を追う」。
このスイッチの切り替えが難しい。
かつ自分の中の“感じる心”のキャパシティが狭くなっているのも痛感している。

いつかナイスなタイミングで切り替えが出来たらと願っている。
読みたい本、読まなきゃならない本はたまる一方なわけで、この好奇心の旺盛さは自賛したいところだが、まぁバランスをとっていくしかないのよね。

音楽は聴けている。
まったく最近の音楽は……だなんて、隙あらば言いがちになってしまうポンコツだが、要は自分が知らないだけなのよね。

THE LUMINEERS の新譜なんて最高だもんな。
VULFPECKの新譜もいい。
聴かず嫌いなだけだった Vampire Weekend もサブスクのおかげでどっぷりとハマるくらい好きになった。

リリースから20年の時を経て初アナログ化された松永孝義さんのアルバムもたまらなく良い感じ。
そう言えば、松永孝義さんが亡くなられたのって確か54歳だったのよね。
順調に行けば、私もあと一ヶ月半で54歳になるわけで、なんだか愛聴すべきタイミングだったのかもしんまい。

本は読めてないけども、映画 & ドラマ(今は『ゼロデイ』)は観られているし音楽も聴けている……

それなら充分じゃないか!?

と思うようにしよう。
欲は張らないでいこう。

股旅。

新たなる旅路

今年の十月で開店二十一周年を迎える我が DOODLIN’ BARBER SHOP。

開店準備に勤しんでいた頃、せっせと読み漁りガツンガツンと影響を受けまくっていた雑誌がある。
愛用している理容椅子もその雑誌で見初めたもので、その椅子を買いに行ったキッカケで、当店の鏡もワークテーブルも買わせていただいたんだった。

そんなことをふと思い出し「そうだ!あの雑誌を手に入れたいぜ!かつ、このバーバーチェアーが掲載された号が欲しいぜ!」と思い立ち、古本屋を巡りを始めたのが、つい先月。

2001年〜2003年に刊行された号を幾つかゲットするも、未だビンゴなし!
こうなると一種の宝探しだぜ〜と一人鼻息荒くなっているところなのである。

だけどもだけど!

ある意味、理容椅子より熱い発見があったのである。
前の店の入口ドアは某ショップで特注で作っていただいたものだったのだが、何と制作中のそのドアが小さく写り込んでいる写真が掲載されているのを見つけたのである。
まさに激ヤバとはこのことなのである。

また二十数年前に刊行された これらの雑誌が猛烈に面白いのだ。
あの頃「イカしてんな〜」と思っていた、その雑誌に載っているオッサンたちと、今の自分が同年代になっている感慨。
あの頃、カッコよかったものたちが色褪せず、そのままカッコいいと感じられる喜び。
と同時に、失ってしまったであろう何かを感じさせる哀しみ。
それらが、無い混ぜになって頭の中をグルグルするのが、なんだかいい感じ。

二十数年前の雑誌が、店内にさりげなく置いてあることが、DOODLIN’ BARBER SHOP ぽいなと少しは自身の店と自分を客観的に見られるようになったんじゃ?なんてちょっと自惚れてみたりした。

新しい雑誌からではなく、過去の雑誌から何かを発見するって、なんだかロマンティックだなと思うのである。
ロマンティック ど真ん中だな。

さてと、そんなわけで TOKYO No.1 SOUL SET の“ロマンティック伝説” でも聴くとするかな。
もちろん『TRIPLE BARREL』のアナログ盤でね。

理容椅子が載っている号が発見出来次第、お知らせします!

股旅。

木も見ず、森も見ず……

今日は定休日なのだが朝から野暮用で出動。

こんなときはこれだねと車内BGMに “ゆらゆら帝国Ⅲ” をナイスチョイス。
カッコ良すぎて鼻血ブーである。

車内だけでなく自分の人生のBGMにもしたいくらいだが、振り返っても全然カッコ良くない我が半生。
もし私の生活のバックにゆらゆら帝国が流れたら、きっと誹謗中傷の雨あられだろう。

誹謗中傷って、若い頃はあんまり聞いたことのない言葉だった気がする。
ネットに世の中が飲み込まれてしまってから、よく耳にするようになった気がする。

中傷はなんとなくわかる。
でも、誹謗って何よ?
あまりよくわかってないくせに、私はこの言葉を使っている。
なんとなくな雰囲気で。

いつか、何気なくさらっとさりげなく使ってみたい言葉がある。

それは「ゲシュタルト崩壊!」。

使ってみたいぜ。

ゲシュタルト崩壊とは知覚における現象のひとつで、全体性を持ったまとまりのある構造から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象のこと……らしい。
痛快なくらい全然わからん。

簡単に言えば、木を見て森を見ず……的な?

けど、使ってみたいぜ。
会話の中に、普通にサラッと折り込みたい。
何の嫌味もわざとらしさもなく。
そういう知的マンに私はなりたい。

敬愛する高田純次先生は「木も見ず、森も見ず」って言ってたけどね。
その突き抜け感、底抜けのくだらなさ感にも憧れるけども。

では股旅。

突然の贈物

「遅ればせながら二十周年おめでとうございます」

と、二十年以上のお付き合いをさせていただいている(つまり独立前から)お客さんから頂戴しました。

WILLIE “THE LION” SMITH も、映画「Reality Bites」も大好物です。
どちらもとっても良い味が出てるよ。
ありがとう!

いつの間にやら、お互いオッサンになりましたね。

理髪師とお客さんとしての関係で共に年齢を重ねていける喜び、プライスレス。

さてと、相応しい額を探さなくちゃ。
飾らせていただきます。
心底感謝。

心地良き変化

昨年の晩夏あたりからギターにどんどん傾倒していった小6息子11歳。

口を開けばギターと敬愛しているミュージシャンの話ばかり。
ギターの専門用語なんて、私には暗号のようにしか聞こえなくてチンプンカンプンなもんだから少々息子に申し訳なく思っている。

年始の店休日も彼方此方の楽器屋巡りのギター三昧で、気分はちょっとウンジャラゲではあったのだが、私の音楽の聴き方に変化が生じたのを感じた。

音楽を聴いているとき、いつの間にかギターの音色に耳を傾けるようになっていたのだ。

どんな風に弾いているのかしら……
どんなエフェクターを使っているのかしら……

全然正解には辿り着けないのだが、これが案外楽しい。
この年齢になっても変化というのは訪れるのだな。
既に自分はコリッコリに凝り固まっているオッサンなのさと勝手に思い込んでいただけなのかもしんまい。

ステッカーチューンを施した息子の愛用ギターにも刺激を受けた。
はじめは、どんだけダサくなってしまうのか……と心配してたのだが、その仕上がりのバランス感覚には嘆息した。
多過ぎず少な過ぎず、ベリー最高に丁度良い塩梅で息子は止めていたからだ。
この「止める」っつーのが癖者で、案外難しいのである。

なかなかやるな……

親バカオヤジは一人静かに悦に浸っているのである。

股旅。