多分、人はそれを忘れない

相変わらず、時間を見つけては散歩に繰り出している。

道中、カブトムシやクワガタが捕れそうな樹をチェックするのがクセになってて、昆虫採集にシーズンインした今、あちこちでその黒光する勇姿を見かけるのだが私は捕らない。
近づいてゆっくり眺めた後、溢れ出る樹液の匂いをクンカクンカしてから立ち去るのだ。

小6となった息子は昆虫に対する興味を急速に失ってしまったようだ。
私が採って帰っても、あんまり喜んではくれないだろうと予想がつく。

思い返せば私もそうだった。
夢中だったはずのものが、いつの間にか興味の対象外になっていた。
興味を失うきっかけが何かすらわからず、わかろうともしなかった。
で、新しく情熱を注げるものを見つけ夢中になる。
多分、人はそれを“成長”と呼ぶのだろう。

でも、それを忘れることはないのだね。
息子と昆虫採集した日々は楽しかった。
私が幼少時に感じた感動や興奮が瞬く間に蘇った。
プラモデル作りもそうだ。
模型屋さんでいくつものキットの中から、次は何を作ろうかなと吟味しているとき、せっせと作っているとき、私の隣には息子とまだ子どもだったリトルテッペーがいつもいる。
それが嬉しいし楽しい。

夢中になったことは忘れない。
どこかにそっと隠れているだけで、いつでもきっかけがあれば飛び出してくる。
これはきっと人生の宝物なんだろう。
夢中になれることは一つでも多い方がいい。

そんなことをぼんやり思う土曜日の朝なのである。
土日は猛烈に忙しいのが定番。
ご予約をお断りしてしまうことも多くて申し訳ありません。
ウソのようにのんびりな平日があったりして、幾つになってもそのバランスが上手くとれない床屋のオッサン。
それが私です。

股旅。

全てが良い塩梅

以前からその存在は知っていて、いつか読みたいと思っていた本が文庫化されたという情報を入手し、これはナイスな切っ掛けだぜと早速手に取ってみた。

で、読み始めたのだがチンプンカンプン。
まずイメージが湧いてこないし、登場人物の名前が覚えられないし、物語が入って来ない。
かと言って、決してつまらないわけではなく、その独特な語り口と世界観にはビリビリ来るのだが「あ〜これは今の自分には手に負えないな〜」と30ページほど読んだところで、そっと本を閉じたんだったんだったん。

私は、世紀の傑作だとあちこちで絶賛されている名作を読み進められない自分を恥じた。
多分きっと、二十代の頃にこの本を読んでいたら一気に読めたと思う。
そして大いに心動かされたのだろうと思う。

初っ端に打ち当たる壁を破壊する喜び、興奮が若い頃にはあった。
今はもうない。
その気力も胆力もない。

こんなことを書いていると、自分の老いを自覚して遠い目をしちゃって黄昏ているかと思われるかもだが、全然それはない。
むしろ、この脱力さ加減を歓迎している。

スッと入って来ないのなら、入って来なくても良し!次!

これでいいのだ。
ジタバタするより自分に甘くてスッと馴染むものを見つける方が良い。
若くして、こうなってはダメだが、私ももはやナイスミドル。
それでいいじゃない。
ダメ?

そんな流れで、次に読み始めたのが
『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』 松永良平著

“落ちこぼれ大学生だったぼくが、音楽ライターになるまで……。
音楽と、レコード屋とともに過ごした「平成」の記憶を、数々の名曲とともに綴る青春エッセイ……”

もう、この帯に書かれた一文でガツンと来た。
で、読み始めたら、やはり最高に面白い。
スイスイ読めるし、全てがスッと入ってくる。
これこれ!

著者は、私の三つ年上。
過ごした場所や、見たライブ、聴いたレコードも重なるばかり。

なんだか、こういう本と巡り合う機会が増えているのを感じる。
きっと五十路のオッサンたちが、あの頃は良かったよな〜と90年代を回顧し始めまくっているんだろうな。
ま、実際良かったしね。

私も機会を見つけて、平成に出会った音楽たちのことを書いてみようかな。
もちろんBGMは、折坂悠太の名作アルバム『平成』でね。

股旅。

学んでも 学んでも

今読んでいる本の舞台が北海道の“増毛町”というところなのですが、どうにもこの町名が覚えられないのです。

増毛町で“ましけちょう”と読むのですが、何度も聞いたことあるし、その度に「覚えよう!」と決意するのですが、ちょっと経つと「あれ?あれれ?」と失念してしまうのだから人間って不思議です。
いや、オレって低脳。

で、さすがに今これを書いてて、さすがに覚えたんジャマイカと思います。
もう忘れないぜ、ましけちょう!
マシュケナダ!

日々の生活の中で、こういう物事って結構ありませんか?
死角というか、デスポイントというか、エアポケット的な物事。

私は散歩を趣味としているのですが、何度も通っている道なのに「あれ?こんな家あったっけ?」と思うことが多々あります。
それが、石碑だったり道祖神やお地蔵さんだったりすると、ちょっとだけゾッとしちゃうときもあります。
同じ道を逆に戻ってくるときなんて、まるで違う道に感じたりします。

まぁそれは多分、私の“クセ”なんでしょうね。
眼差しの癖です。
見るところ、見ちゃうところ、目を向けてしまうところ。
これらが無意識のうちにコントロールされているんでしょうね。

時折、脳内に小さなバグが起きたときに違った景色が見えて来るって感じですか。
違いますか。
ま、これと同じ作用で何故か何故だか覚えられない物事があるんじゃないかと……
違いますか。

うちの妻さんは、こういったことにとりわけ長けてましてね。
妻さんの指導の元、この十数年でこれでも大分マシになったと自負しているんです。

まだまだ全然ポンコツですが、鍵とかメガネとか『そういうものは決められた場所に必ず置く』
という妻さんの教えを守るようになってから「あれ?あれどこやった?」と慌てることがかなり減りましたもの。

この点でも、妻さんには深く感謝しなくちゃなと思っているのです。

あちこちに話題がとっ散らかっているようですが、私の中ではビシッと繋がっている話なのです。
悪しからず。

やっぱり人生は面白い

“VIDEOTAPEMUSIC” の新譜が出ると聞き、胸が踊ったのも束の間、何とテープのみでの販売だとのいう。

絶対レコードで欲しいアーティストだけに、いやちょっとそれは……と尻込みしたのだが、その曲目リストを見て瞠目した。

多摩湖……

私の実家のすぐそばにある人造湖“村山貯水池”の通称である。
それが一曲目のタイトルなのだ。

今まで、多摩湖をフィーチャーしたアーティストがいただろうか?
私が知る限りいないぞ!
では何故?

俄然聴きたくなったのは言うまでもない。
もしや、VIDEOTAPEMUSICは御近所さんなのでは?
うわ嬉しいっ!
SNS を覗いてみたら、青梅やら武蔵村山やら、所沢、etc。
私の青春生活圏と駄々かぶりしてるではないか。
嬉しい!
大好きなミュージシャンがすぐそばで、あの名曲たちを作っていたなんて!

私は購入するぞと決意したんだった。

そして一昨日。
そのアルバム『Revisit』が届いた。
すぐに聴いた。
一曲目の『多摩湖』が店内にBGレベルの控えめな音量で響き渡った。

私は感動していた。
その音を聴いて、私が知っている多摩湖とシンクロしたからだ。
これって、途轍もなく凄いことだと思う。
なかなか味わえる感慨ではない。
生きてて良かったとすら思った。

付属しているブックレットをパラパラと捲る。
どうやら、VIDEOTAPEMUSICさんは御近所さんではなく小平の方の出身のようだ。
立ち寄っているリサイクルショップやラーメン屋も知っているところだ。
私の青春生活圏に彼は確かにいる。
どこかですれ違っても、気づけないだろうけども。

テープを聴ける環境はないが、ダウンロードコードが付いているので、それで聴いている。
しばらくヘビーローテーションだな。
多摩湖云々は抜きにしても、素晴らしいアルバムだからだ。
ブックレットも熟読しよう。

こういうことが起こるから、やっぱり人生は面白い。
この年齢になっても、まだまだ“初めて” を体験出来る。
すなわち最&高なのである。

股旅。

何となくな日々

最近どうにもレコードを聴いてても音が抜けない。
何ともなしに くぐもる感じがして、どうにもスッキリしない日々が続いていたのである。
さすがに針がもうダメなのかと、交換してみるのだが、それでとやはりモッキリしない。

そうこうしているうちに、レコードを回す機会も減り、流行りのサブスクとやらをBluetoothとやらで飛ばして「うむ、こういうのも悪くないね!うふふ」などと嘯いていたのだが、ハッと思い立ったのである。

これはもう、針がどうこうではなくカートリッジそのものが劣化してしまったんジャマイカ?

だって、これ彼此もう二十数年使ってるよね。
そりゃ弱るよね!

もう、そうに違いないぜと強引に確信し、ビシッとカートリッジごと交換してみたら、ものすごく良い音が鳴り響いたから震えた。
久しぶりに、まさに「感動」って言葉が相応しいほど胸が高鳴った。

そうなのだ。
これが、これこそがレコードの音なのだ。

テンションが駄々上がってしまった私は、せっせと暫く針を落としてなかったレコードを取り出し聴いている。
なんだか、遠い昔になくした物が不意に出てきたような、そんな想いに満たされている。
なんじゃそりゃ?

こういう感情の移ろいって、そのほとんどがただの思い込みだったり、気のせいだったりするのよね。
でも、そういうことこそが人生にとって大切だったりするのよね。
なんつって。