そこにあったのは物語
こんばんは。
夕暮れ時に吹いた風にほんの少しだけ夏の終わりを感じました。
なので、こんな気分のときにはこれだねとハイロウズの “アウトドア派” を聴きながらこの日記を認めております。
相変わらずイイ曲だなと。
音楽は、かつての自分の心のときめきを真空パックしてくれています。
一瞬でその曲を初めて聴いたときの気持ちに揺り戻してくれます。
それはとてもステキなことなのですが、それと同時にいつまでも足を引っ張って大人にさせてくれないものでもあるのです。
でも、そんな曲は実は滅多にないもので、しかもそんなに好きじゃない曲だったりすることもあるから不思議です。
なんなんでしょうね。
まったくもう。
真空パックされているから、多分きっと七十代ぐらいになっても余裕で聴いているはずです。
それであっちゅう間に十代の頃に気持ちが揺り戻されちゃって、嬉しいような寂しいような哀しいようなくすぐったい心地になるのでしょうね。
でも、それイイな。
そんな感じになるんだったら悪くないな。
先日、家族でホームセンターに買い物行ったら、その場でご希望通りのレイアウトでレトロ風味の看板を描きますよってなポップアップショップが出店してましてね。
これはもう描いてもらうしかない!
と鼻息荒く注文いたしました。
DOODLIN’ BARBER SHOP にカタカナでフリガナを。
枠もつけて。
ベースのボードの色はベージュで。
あとはお任せで。
そんなオーダーをしました。
最初はネイビーのボードを選んでいたのですが、妻ちゃんに相談してベージュへと変更、出来上がりを見たらこれがジャストミートでしたね。
実にイイものを描いていただきました。
選色も任せて良かった。
こうなるともう、もうちょっと大きいものも、そして小さいものも描いてもらえば良かったなと思いました。
なんとなく注文して、なんとなく描いてもらった感じでしたが、僕は大いなる刺激を受けました。
こういう「仕事」のあり方。
描いてくださった方の佇まい。
なんかこう、良かったんですよ。いろいろと。
そこにあったのは「物語」でした。
大事ですよね、物語。
それを感じられるかどうか。
それがあるかどうか。
ある意味、何もかもがそれ次第なのかも……だなんて感じ入る夜であります。
さてと。
何か映画でも観ようかしらん。
子育てはピッチャーじゃなくてキャッチャーなんだぜ
おはようございます。
今朝、この日記を書くのと店で使用しているタオルをたたむのと、どっちを先にするか悩んで迷った結果、やはりタオルからだなとビシッとたたんでからPCに向かった次第であります。
このタオル。
実は昨夜一度全てたたみかけていたのです。
でも、ミッションコンプリート寸前で我が家の五歳児に襲撃を受けまして全部バラバラにされてしまったのでした。
怒涛の週末営業を終えたばかりだった私は「ほほ〜なかなかやるじゃないか!」と息子の遊んで欲しいビームを上手に受け止めることが出来ず、ちょっと待ってくれよ……マジですか……とほほ……と凹んでしまったのです。
こういう時、己の器の小ささを痛感します。
息子は、そんな私を見てちょっと寂しそうにしておりました。
たたみかけのタオルを崩されたからって、そんなの全然大したことじゃないぜとグッスリ眠った翌朝にはそう思えるのです。
少し疲れているからってなんなんだお前はっ!
そう自分を叱咤したいです。
疲れると品のない自我が出てきやがるから嫌ですね。
まだまだ魂の修行が足りんなぁと嘆息が止まらないわけです。
息子はそれを試しているのですよ。
「どうだ?近頃のお前は?
歳くった、丸くなった、錆びただのといった言い訳ばかり口にしてないか?」
と耳元で囁かれいるような気がしてならないのです。
言うならばある意味息子は「師匠」なのです。笑
昨日は夕飯の支度で立て込んでいたから、たまたまのタイミングで私がタオルをたたんだのだが、いつもタオルを洗濯してたたんでくれているのは妻さんなのです。(いつもありがとう!)
妻がたたむときも息子は襲撃するのだろうか……
その時妻はどのように息子をさばくのだろうか……
後で訊いてみるとしよう。
そんなわけで今日は定休日。
思いっきり息子の相手をしてやろうと思います。
いや、違うな。
息子に相手してもらうのですな。
子育てはピッチャーじゃなくてキャッチャーなんだぜ……
この言葉を胸にね。
夏のぬけがら
天気予報が云うには、今日からまた猛暑がぶり返すらしい。
けれども二日過ごしやすい涼しい日を過ごした今は自分の中で夏は終わり始め。
云うならば夏のぬけがらって感じだ。
息子が飼っているカブトムシも活動量が一気に減ったと感じる。
息子の中の、カブトムシ&クワガタ熱もやや下がり気味。
それに変わって、カマキリ熱がグイグイと上がって来ている。
この辺りにも夏の終わりを感じる。
こうなるともう今後は残暑と言ってイイだろう。
でも、こう思い始めた途端、過ぎ去りつつ酷暑デイズがちょっと名残惜しい。
今年の夏の常軌を逸した暑さは強烈であったが鮮烈でもあったのだろう。
いつまでも「2018年のあの夏はとんでもなく暑かったな……」と記憶される夏になることだろう。
今ふと思い出したのだが「白いものは汚れが目立つから避けたほうがいいかな……」と考えがちだった僕に「汚れが目立つからイイんじゃない!」と考える妻の思考回路は鮮烈だった。
彼女の大いなる魅力の一つだろう。
凝り固まったものの考え方や見方も、少し角度を変えて捉え直すことで、ブワーッと世界が広がる。
妻と接していると、自分もいつかこういう人間になりたいと思わせられるから悔しい。
読みたい本と観たい映画がたまりっぱなしだ。
一つ一つクリアしていくしかないな。
それではそろそろ虫採りに行ってきます。
人にはそれぞれ事情がある
グリム、さくらトイス、トンボ屋、たなべ、土佐、坊や、ポストホビー、ポニーランド……
これらは私が生まれ育った街 新所沢にあったプラモデル屋とおもちゃ屋の屋号だ。
でも、今や現存するのはグリムのみ。
時代の波とでも云うのでしょうか、その荒波に飲まれていつの間にやら寂しく閉店してしまったんだった。
少年時代、これらの店を自転車であちこちグルグルと廻るのが楽しかった。
お金がなくても行った。
行けば気の合う友達がいた。
ただ見ているだけ、それで良かった。
でも、それが今はおもちゃ屋と云えばトイザらスの一択のみ。
それとネット通販ってとこか。
昔は良かった……だなんてことは言いたくないが、この点に関しては私の少年時代の頃の方が良かったんじゃないかなと思う。
これはもう全国的な流れなのだろうか。
今の町並みは、子供たちが愛着が持てないような気がしてちょっと寂しい。
そんな気がする。
こんなこと時折しみじみ考えてしまうのは、私も完全無欠のおっさんになった証拠だろう。
『人にはそれぞれ事情がある……』
これは、春頃に読んだ宮本輝さんのエッセイにあった言葉。
この考え方が身につくと、いろいろと日常で人に優しくなれる。
以前、お客さんとこんな話をした。
「狭い道を運転をしていて、対向車が来たとき。
さあどうぞって車を寄せて相手に道を譲るのですが、そのときに向こうから何のリアクションもないと腹が立つんですよ。
手をちょいと挙げるぐらいも出来ないのかって!」
そう鼻息荒い私にお客さんはこう返した。
「私が首ヘルニアを患っているとき、まさにそういう場面に遭遇したんですよ。
でもね、首が痛過ぎて手も挙げられなかったし会釈すら出来なかったんです。
だから私はそういう瞬間に出くわしたときは『あ〜あの人はきっと首ヘルニアなんだろうな!』と思うようにしたんです。
そうすると、それじゃあまあ仕方ないな!って思えるんですよ」
これには笑った。
そして、とても納得した。
なんか、嫌な態度を取られたり、嫌な言葉を言われたりしたとき。
「あ〜きっとあの人にはなんらかの事情があるんだろうな……抜き差しならない止むを得ない、避けることない事情が……多分きっと……」
そう思えたら腹立たしくならないし、むしろちょっと優しい気持ちになれたりして、その上なんだかありがたい気持ちにもなるから、人の気持ちって不思議だ。
要は気持ちの持ちよう……そういうことなのだと思う。
連日灼熱地獄ではあるが、それもきっとのっぴきならない事情があるからだろう。
ふふふ、なかなかやるじゃないか……
この酷暑に対して、そう思えれば完全勝利だ。
本日は定休日。
思いっきり積極的に休もうと思う。
それでは股旅。