それもまた股旅

さて今日はどこを散歩するべかな……

と思案し始めたときには、ほとんど答えが決まっていることが多い。

丘に行くか
湖に行くか

今日の気分は湖だった。
目的地を決めたら、次はどの道にするか。
これをイメージするときが楽しいし気持ちが良い。
腹の奥底がふぁふぁ〜んとなる。

散歩はスペクタクルだ。
毎回何かしらの発見がある。
今朝の発見は通りがかりの家の庭に積み上げられた謎のミカン。

儀式的な何かなのか
それとも装飾的なものなのか

その答えは風の中なのである。

遠出をし、何泊かするようなものだけが「旅」ではない。
私が散歩中に、ふと思い立ち通ったことのない未知の道を歩く。
これもまた「旅」なのである。

クロマニヨンズのギタリストである真島真利先輩の初の著書『ROCK & ROLL RECORDER』が面白い。
自身のレコードコレクションを自伝的に紹介してるっつーね。
ファン垂涎のディスク・ガイドだ。
たまらんです。

そこかしこに魔法の言葉たちが散りばめられてたのは期待通り。

“僕が好きなロックンロール、パンク・ロックは、バカな風でバカじゃなくて、不真面目な風で真面目で、どこか間違っているようで、なんか一理ある、みたいな感じなんです。
ロックンロールは、眉間にしわを寄せて聴くものではなくて、笑うものです。
ギャグやユーモアという観点を見失うと、ロックンロールの本質も見失うことになりかねません……”

だなんて言葉があって、僕が日頃目指している店の形、いや人生の形が、まさしくそれで、こうやって説得力ある言葉にしてくれてありがたいな〜と。

ホントありがたい。
いつかお礼をしなくちゃ。

股旅。

目指すべくは素敵な年相応

ぼんやり雑誌をペラペラとめくっていたら、

『誰もが心の中に10歳の少年、あるいは少女を持っている。
その小さな人は、ピカピカの新しいおもちゃにとても嫉妬したり、とても羨ましく思ったりするんだ……』

なんてことが書いてあって、あ!これかっ!
って思った。
小学三年生の息子と過ごしていると時々顔を出す小さな自分。
あれは僕の心の中にいる10歳の僕だったんだな、なるほど。

息子と過ごしているときでなくても、ちょくちょくこのリトルテッペーは現れて、50歳ナイスミドルとは到底思えない幼稚な考えをし、雑な振る舞いをするし、ときどき悪戯や意地悪もする。

それが愛すべきものであったら良いけども、だいたいが自己嫌悪の根源になったりしてて厄介なのだが、このイタズラ坊主に生かされている瞬間も結構あるのを感じたりもするから困ったちゃんなのである。

でも、ここ数年はだいぶ上手く立ち振る舞えるようになった気もする。
自分の武器をすべて捨てて、非常に無防備で正直な態度をとる……これが誰かと一緒にいるためのコツらしいので、どうにか少しずつでも成長出来ならな〜と鼻くそほじりながら丘の上から世界を眺めている。

ビースティ・ボーイズのアドロックは、今どんな感じになっているのかしら……と調べてみたら、ベリー最高にイイ塩梅の力の抜けた55歳のナイスミドルになってて、よし!この感じを目指してみようと思った。
全然自分は若くない、枯れ始めのオッサンなんだともっともっと自覚しなくてはな。
目指すべくは素敵な年相応、これなんだよな。

面白い日常の作り方

Burial の新作『Antidawn』を、昼夜公私問わず聴きまくっているのです。
営業中に流すのに相応しいBGMか?
と問われたら、ハッキリ「YES!」とは全然応えられないのですが、何だか妙にしっくり来るのは何故なんだろうか。
店内に音が流れ出した途端、良い空気が流れ始めるのを感じるのです。
温度と湿度も変わるぐらいの印象で。
あまりこういう音楽と出会うことがないので、新鮮だし嬉しい。

で、そのジャケットに使われている絵が、どこからどうみても松本大洋さんが描いたものにしか見えず、半ばそうに違いないと確信していたのですが、どこにもその情報はない。
けども、他の誰かの名前がクレジットもされていないから、これはもう多分きっとノンクレジットでサクッと提供したんじゃないかと睨んでいるのです。
そういう粋なことをサラリとやる感じじゃないですか、松本大洋さんって。

で、最近の松本大洋作品を画像検索してたら、松本大洋さんが挿絵を描いたという児童文学を発見。
どこからどう見ても面白そうだったので、一瞬の迷いもなくゲットしました。

なんかね。
こういうことの日々の繰り返しが面白い日常を作っていくってね。
そんな感じがするのです。
小さな「面白いこと」を見逃さず、拾い集める感じね。
これが大切なんじゃないかと。
そんなことに気づき始めた今日この頃なのです。

そこに音楽があるから

海外ドラマ『 The End of the F***ing World/このサイテーな世界の終わり』を観てたら音楽がとても良くて、調べてみたら、ブラーのギタリストであるグラハム・コクソンが音楽担当だと判明し、胸が躍り熱くなった。

と同時にとても大切なことに気づいた。

僕は多分、いや、かなり音楽が好きな人間の部類に入るんじゃないかと自負している。
何に気づいたかというと、そんな自分の音楽との関わり方についてだ。

ともかく何でも、いや、世界の全ての物事を僕は音楽を通して見つめていることに気づいた。
もの凄く今更だが、やっと気づけた。

好きな本も絵も映画も、全部「自分が音楽を感じられるかどうか」が自分的善し悪しの判断基準になっている。
店はもちろん自分が音楽を感じるものしか置いてないから、店内は音楽で満ちている。
作る髪型も、そこに音楽を感じられるかどうかが重要で、そうじゃないものは作りたくないし、作れない。

ココで大事なのは、あくまで自分がどう感じるかが基準ってこと。
他者がどう思うかは関係ない。

そんな音楽感じないけど……

とポカンとされても、全然構わない。
ようは自分がどう感じるかだけなのだ。

妻さんの手料理を食べているときも音楽を感じている。
散歩をしているときも、息子とお風呂に入っているときも、トイレで用を足しているときも、そこに音楽がある。

僕の生活は、音楽をベースにして、そして音楽に包まれている……

そんなことに気づいたんだったんだったん。

映画やドラマを観ていて「あ、この曲いいかも!」と感じられるってのは、自分的にはこの上なく幸福なことだなぁと。

あ、全部音楽で成り立ってるじゃん!

気づかせてくれた『『The End of the F***ing World/このサイテーな世界の終わり』に感謝だ。

こういう最高な瞬間が突然訪れる。

これもまた音楽の成せる魔法なのかもしんまい。

Walking In The Rhythm

相変わらずよく歩いている。

十代の頃からずっと好きな漫画家 松本大洋さんの作品の中でも太っちょの登場人物が「一日最低6000歩は歩け」って医者に言われたって場面があって、そうだよな、今のうちから歩いておかなくちゃな、だって立ち仕事だもん、床屋なんだからさ、体力つけるのはもちろん、足腰を強くするためにね。ついでに体重減ったら儲けもんだよね……ってそんな思いを込めてエブリデイ歩いている。
一日一万歩以上を週五日。
コレが私の定めた目標値だ。

歩いているときの脳内BGMは、やはり FISHMANS の「Walking In The Rhythm」なのである。
歩くスピード落として、いくつかの願いを信じて、この胸のリズムを信じて、まわるようにまわるように歩きたい。
歌うように歌うように歩きたいのである。
コレが気持ち良い。
ああ、この瞬間のために、二十代の頃からずっと FISHMANS を聴き続けて来たんだろうな〜って今さっき確信した。

今朝の散歩途中、小川にかかる小さな橋を渡ったら、チッチーと可愛らしい鳴き声が。
見ると、うっとりするぐらい煌びやかな青色の鳥が水面を飛んでいた。
カワセミだ。

うお〜こんなところにいるんだ!
しかも、あんなとこにとまっている!

興奮してスマートフォンを取り出し、いざ撮ろうとした瞬間、チー―――!と飛び立ってしまった。

圧倒的な美しさを前に、あたふたして思考が鈍り、結局全然間に合わない醜い人間。
それが私だった。

写真なんて撮ろうとせず、じっくり見れば良かったのだ。
脳裏に焼きつければ良かったのだ。
今後はそうしよう。
なんでもよく見て、よく聞き、よく考えるように心がけよう。
つまるところ、それが「答え」なのだ。