そうか、そうだったのか

ポケットに入れてるスマートフォンがブルブルしているぜ!こりゃ着信に違いないっ!

と鼻息荒く取り出してみたら、全然着信も何にもしてなくてキョトンとしてしまうことがよくあるのだが、息子のためにと購入してみた本に、その現象のことを「ファントム・バイブレーション・シンドローム(幻想振動症候群)」って言うんだぜ!と書かれてて震えた。

まさか自分が、そんなカッコいい名前のシンドロームに陥っていたとはな……

ドライブ中、Mogwai を聴いてたら、息子に「こんなのダメだ、やっぱこれだろ!」と BGM を SlipKnot に変えられてしまった。やはり8歳児には、この Mogwai の良さはわかるわけないか……父さん最高に気持ち良かったのにな〜と嘆息したのだが、8歳児が Mogwai を聴いて「こりゃイイぜ……」なんて言ってたら、それはちょっとした事件だなと思い直した。うむ、それで良し。SlipKnot で大いに結構だ。

このオレの大好きな Mogwai を息子もきっと好きなはず!と思っていたら、そうじゃなかった……

これを「フォールス・コンセンサス効果(いつわりの意見の一致)」と言うらしい。そして「オレは少数派で人とは違うんだぜ〜ヌハー」と自分に酔っ払っていることを「フォールス・ユニークネス効果(いつわりの差異)」と言うのだそうだ。

そうか、オレは思春期の頃からずっとフォールス・ユニークネス野郎だったってわけか。

今日もまた学んだな。学び、大事だぜ。

そろそろ夜の吐息に飲み込まれてみようか

ふと気がつくと、BOØWY の 「B・BLUE」を口ずさんでいることがある。


この曲がリリースされたとき、私は中学三年生。その人気は凄まじく、レンタルレコード屋でも同曲が収録されているアルバム『BEAT EMOTION』はなかなか借りられず、予約して数週間後ぐらいにやっと聴くことが出来たのを覚えている。


この流れに乗らなくてはダサいぜ!


と鼻息荒く聴いてはみたのだが、あまりハマらなかったのは何故だろう。


当時、私の中では、THE BLUE HEARTS、尾崎豊、そしてこのBOØWYが三大勢力とされていて、完全なるTHE BLUE HEARTS 派に属していた私に取って他派の音を認めるわけにはいかなかったのだろうか……んなこたないか。


で、あれから三十数年が経っても、ふと口ずさんでしまう「B・BLUE」のフレーズが、


♪夜の吐息に飲み込まれて 震えていた LONELY ANGEL♪


であることが多いのだが、あらためてこうやって字に起こしてみると、なかなかどうして凄い世界観だなと嘆息が止まらなくなった。


十五歳のヤングシャイボーイだった私にとって、夜の吐息に飲み込まれちゃって震えちゃっているロンリーなエンジェルっのは、最早ファンタジーの世界のもので、どこか遠くの異世界のように感じていた。


大人なったら、きっとロンリーなエンジェルを街角で見かけるんだろうなと期待していたが、五十歳になった今も見たことはない。


けれども、THE BLUE HEARTS は、すぐ隣にある世界のことを歌っているように感じた。自分にはそれがジャストフィットしたんだと思う。
きっと BOØWY が好きな人たちは、BOØWY が歌う、どこか遠くの異世界に想いを馳せることが好きだったのだろう……違うか!


尾崎豊が紡ぐ世界観は、等身大のリアリティみたいなことを言われていたが、私のそれとは違っていた。それそれで、またファンタジーだったんだった。


そういうわけで、今日もまた やぶれた翼で もう一度飛んで、こわれた心で もう一度笑おうと思う。

自由になら一秒でなれる

今年もオリジナル ティーシャーツを作るんだぜ!

と鼻息荒く意気込んでいたのですが、コロナちゃんやらオリンピックちゃんやらで、納期が遅れに遅れて、先日やっと納品となりました。
お待たせしちゃってすみません。

だけどもだけど。
その出来には大満足であります。
なんかこう、目指している空気感ってのがありまして。
それが、だいぶ出ているんじゃないかと。
緩くてクールで、かつ、そこはかとなく “音楽” を感じるものに仕上がったんじゃないかと自負しております。

この “音楽 を感じる” って、最近の僕のキーワードでして。
日々作らせていただいている髪型でも、店の雰囲気でも、自身の生活でも、何でもかんでも “音楽” を感じられるかどうかってのが重要になって来ているんです。

いや、前からずっとそうだったんですけど、ココに来てさらにクローズアップされて来てる感じ……と言えば良い塩梅なのでしょうか。

「いや、別に音楽感じないけど!」

と誰かにケラケラ笑われても全然構わないんです。
要は自分が感じるかどうかなんで。

では股旅。

夏が流れていく

猛烈な暑さ。
これが真夏のピークであることを願う。
灼熱地獄の中に飛び出し、店の外観の写真を撮ってみた。
そこに写っていたのは、まるで永井博さんが描くブルーの光景。
こんな日はこれだよねと山下達郎を聴くと見せかけて……ブルーノ・マーズを聴いた。(今更ながらハマっている)
ブルーノさん、山下達郎を愛聴しているらしいね。
なんだか誇らしい気持ちになるのは何故だろう何故かしら。

映画館のトイレで息子と並んで用を足す。
これがなかなかのイイ時間であるのだが……実際は私が準備をしているうちに息子はミッションコンプリートし、さっさと手を洗いに行ってしまう。
しまいには「まだ〜」と言われる始末。
これがなかなか情けないのである。

息子はこういうスピード感に中で生きているのだ。
学校での十分の休憩時間でもフルスロットルで遊ぶのだろう。
五十歳の床屋のオッサンは「お!休憩か〜」としみじみしているうちに、その十分を終えてしまう。
その時間の濃度と密度の差は歴然だ。

でも、これでイイのだ。
これがイイのだ。

この年齢で、息子と同じ感覚で時を過ごしたら一瞬で脳が溶けてしまうだろう。

人はそういう風に出来ているのである。
小学生には小学生の感じ方。
五十路親父には五十路親父の時間軸。
自分の感じ方を信じるべし。

さてと。
真夏恒例のフィッシュマンズでも聴くかな。

股旅。

今こそ必要なもの

気になっていた『おおきなかぶ〜』(ガタロー☆マン著)を読んだ。
大笑い、後、ジワジワと感動が押し寄せて来た。
大袈裟な物言いに聞こえるかもだが、今の窮屈な世の中(コロナ禍であろうとなかろうと)に必要な何かがココには描かれているぜ!と感じた。

『珍遊記』や『地獄甲子園』で知られる漫画家 “漫☆画太郎” が、「ガタロー☆マン」名義で描いた ‘笑本 おかしばなし’ である。
この『おおきなかぶ〜』は二作目で、一作目は『ももたろう』。

これはもう『ももたろう』も読まねばならないと強く思った。
きっとそこには、また私の心を笑震わせる何かがあるはずに違いない。
コンセプトは「悲劇は喜劇に、喜劇は超喜劇に!」だと聞き、そこにも震えた。

今、子どもたちにも、自分にも、大人にも、世の中にも必要なのは “笑い飛ばす力” なんじゃないか?どう?

と密かに思ってたところだから、マイハートにジャストフィットスムーズインしたってわけだ。
そこの「最近ちょっと元気ないかも……」と思い込んでいる貴男貴女、この本を手に取ることをオススメする。

同じように、今のこの鬱屈としたWORLDに必要な何かがあるぜ!とビンビン感じたのが、ブルーノ・マーズとアンダーソン・パークによるシルク・ソニックの新曲 “Skate” だ。

これはもう、DOODLIN’ BARBER SHOP の今夏のテーマソングにしなくてはと鼻息荒くなるほどの名曲。
これまた何だか泣けるのです。
その底抜けのハッピーさ加減に涙が出そうになるのです。
急に敬語にさせてしまうパワーもあるのです。