みんなちがって、みんないい。

今、小三息子の日々の宿題として、金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』の音読が課されてまして。

毎日息子の拙い朗読を聞いているのですが、やはり最後のフレーズ “みんなちがって、みんないい” のところで、ググッと来てしまうのです。
それが子どもの声で聞くと、より響くのはなぜなんでしょうね。

それでですね。
昨日閉幕したパラリンピック閉会式での、クライマックスのダンスシーンを観た(生放送ではなくYouTubeですが)ときも、このフレーズがクロスオーバーして来ましてね。
もうね、床屋のオッサン涙が出ちゃいました。
だって、凄くステキだったんですもの。(長回しのワンカットってのがまた熱い!)
まさに “みんなちがって、みんないい。” でした。

解説の方が仰ってたのですが、知的障害の
ある方は決められたダンスを覚えるのがなかなか難しいそうなんですが、決まり事なしのフリーで踊ってもらうと、とても素晴らしいダンスを魅せてくれるんですって。
なんかとてもイイ話だなと、これまたグググッと来ましてね。
五十歳ナイスミドル理容師なハートを鷲掴みにされましたよ。

元ROGUE の奥野敦士さんが歌う『この素晴らしき世界』にも心揺さぶられました。
歌とか踊りって凄いですよね。
真っ直ぐ心にズキューンって来ますものね。
どんなものに心震わせられるかってのは、人それぞれ自由であるべきですよね。
それが自分と違うからって、下に見たり上に見たりすることはないですよ……って自分に言い聞かせているところです。

写真は、お客さんが乗って来た車たち。
これまた “みんなちがって、みんないい。”
写真をレイアウトしてみて、店の外観もまた季節や天気によって、いろいろちがった表情があることに気づきました。
うん、当たり前のことなんですけどね。
その “当たり前” になっていることを、いや〜やっぱり “当たり前” だなっ!って再認識することが大切なんですよ。

では股旅。

その手があったか!

日頃、お客さんにあんなレコードを聴きたいと言われ、んじゃアレを!って流れが頻繁にある。

で、そのレコードを探すのだが、これがなかなか見つからない……って展開に陥ることもまた頻繁にあるのである。

せっせと探すついでに目に留まった他のレコードを「これ!久々に聴きたいぜ〜」なんてキープしたりして、それがまた楽しかったりするのだが、コレってアレだよね。

レコードをジャンル別とか、アルファベット順にインデックスで分けたら楽勝で解決出来る問題なんじゃない?

この画期的なアイデアを思いついた瞬間震えが来た。
まさに「その手があったか!それだっ!」ってな気分である。
しょっちゅうレコード屋で目にしてるはずなのにだ。

そんなわけで近々ジャンル別にレコードを整理しようと思う。
アルファベット順にするほどの数ではないから、これで充分だろう。
にしても、なんで何十年も思いつかなかったのだろうか……

自分でちょっと分析してみたのだが、ひょっとしてそんな風に仕分けすることによって興醒めしてしまう何かがあったのではなかろうか……でそれを無意識のうちに避けていたのではないか……

“ランダム” な魅力ってあるのよね。
雑多な感じのあれね。
整理の先にあるのは “便利” と “合理性” 。
それも良いけど、そうじゃない良さもある。

なんか上手く言えないけど、自分にとっては凄かに画期的なことなのである。
世の中的には、普通だし当たり前のことだろうけども、これは自分史上でも大きな転換を示すことだと思う。

なんか、そういうの良いよね。

正解はないのである

最近、私が驚いたこと。

一つは、愛読している『ゴルゴ13』の作者であられる さいとうたかを先生が元理容師だったということ。
なんでかな……なんだかとても嬉しかった。

もう一つは、銀杏BOYZ の元ギタリストであられる チン中村さんがバンド脱退が発表された頃に、うちの近所にある 東京ばな奈の製造工場でバイトをしていたということ。

で、そのことが書いてあった著作を昨日読了したのだけど、文中に銀杏BOYZのメンバーのことがほとんど書かれておらず、“銀杏BOYZ” というバンド名すら出て来なかったことが、ちょっとだけ寂しかった。
もの凄く辛い思いをしたからなのか。
大切な時を共に過ごした仲間だからなのか。
うむ……きっとどっちもだろう。

『ゴルゴ13』は、今こそネットがあるので世界各地の画像を探すことが出来るが、それが無かった頃は資料集めに苦慮したそうだ。
冷静真っ只中では、特別な用事であちらに行ける方々にどうにかコンタクトをとって、写真を撮って来てもらったとのこと。

なんだか しょっぱいことを言うが、不便だった頃の方が熱量が高かったんじゃ?と思うのだ。
ネットでチャチャチャとちちんぷいぷいで、欲しかった画像が手に入る。
それはとても便利だし、コストも下がるし、何より速い。
でも、何か大切なことが抜けてしまったような気がしないか?
しないか!

若かりし頃、飲み屋で遭遇するオッサンたちに抱いた嫌悪感。
そんなオッサンに自分もちゃんとなってるっつーね。
なんだか、清々しい気持ちがしないか?
するよね!

さてと。
Jackie Mittoo でも聴くかな。
ユルユルにね。

ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり

息子の夏休みが終わった。
夏休みといえば、七月二十日くらいから、八月末までの四十日間ってイメージなのだが、今は週休二日制だから、その分短くなるようだ。

オッサンの戯言になるが、なんかそれじゃ情緒がないなと感じる。
祝祭日が月曜日にずれ込むのも好きじゃない。
小さな事事だが、いちいちボヤいていこうと思う。
そうしないと、いつの間にか悪い人たちに少しずつさりげなく世の中を変えられていってしまいそうだからね。

この写真で私が着用しているのは、息子が作ったジェローム・ヴァレスカのマスクと謎のチェーンソーらしき武器。
息子はこの夏休みの間、毎日何かしらを作っていた。
宅配便が届くと目を輝かせる。
目当ては中身ではない。
段ボールである。

幼稚園の頃から、段ボールを使ってアレコレ作ってきたが、そのクオリティが少しずつ上昇してきているのが面白い。
これもまた成長のなせる技なのだろう。
手先も器用になってきたが、その止まることを知らない創作意欲とアイデアに瞠目するばかりだ。

そんな息子とは、この夏休みにいっぱい映画を観に行った。
上映前、妻さんに待っててもらって、息子をトイレに連れて行くのだが、そこに異臭が漂っていたときが困りものなのである。

クッサ!
この世の終わりだわ!
デストローイ!

覚えたての言葉で、容赦なく絶叫する息子。
ロックされた個室からは、無言の威圧感&羞恥心の気配がムンムン。
私がその立場だったら気絶するだろう。

そういうこと言わないの!

って注意するのも気が引けるのはナゼなのだろうか。
私は白目になりながら、息子を引っ張るようにトイレから逃げ出すのだった。
息子を見ると、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべている。
八歳男児よ、勘弁しておくれ。
マナーってものを納得&理解させるのは、なかなか難しいものですね。
とほほ。

今日も外は灼熱。
店内BGMは、ここ最近はクルアンビンばかりをヘビーローテーション。
夏の終わりにジャストフィットの音である。

うん、今日もちゃんとイイ感じ。

音楽の話

何気なく、YouTube のトップ画面にあるミックスリストをプレイしたら、それがもう神懸かり的な選曲で震えた。

ogawa & tokoro → VIDEOTAPEMUSIC → cero → キセル →  Khruangbin と云う流れ。

今の自分がまさに欲している音ばかりが見事に並べられてて、こういうのって “人間” が選んだものだと、なんだかわざとらしく聴こえちゃって 鼻白んでしまうことが多いのだけども、 A I ちゃん(歌手ではない人工知能のことね)のそれだと「くわしいなお前……オレに……」と手放しに感心 & 感動してしまうのは、何故だろう何故かしら。

ここ最近の、PC上での検索やら流した楽曲やら、買い物の動向を冷静に分析して、この見事な選曲が生まれるんだろうけども、それはある意味、自分の 思考 & 志向 & 嗜好 が、外にダダ漏れしているってことでもあるから、それはちょっと想像すると怖い。

シンプル・イズ・ベストだぜ!

なんて日頃は荒ぶり吠えているが、「ホント君って単純だよね〜げへ〜」って誰かに言われてしまうと、それは悔しく感じてしまうんだから、人間ってのはしょうもない。
図星、それはいつも儚いわけである。

それにしてもKhruangbin(クルアンビン)は最高だ。
米国テキサス州ヒューストン出身の3ピースバンドで、クルアンビンとはタイ語で「飛行機」を意味する。

彼らが紡ぎ奏でる音楽を聴いていると、気持ちがフワフワとしてくる。
先日、庭の芝生に寝転がり、夏の終わりをビッシビシ感じまくっていたときも、脳内では彼らの音がずっと鳴っていた。
いや、それはもしかしたら生まれてからずっと鳴り響き続けていた音かも知れない……なんて思わされてしまうから音楽って面白くて怖い。

今さっき突然、息子に「お父さん、髪を切るのは楽しい?」と訊かれた。
咄嗟に出た言葉は「楽しいよ。それでお客さんが喜んでくれたら、もっと楽しいよ」だったのだが、なんかこうもっと気が利いたこと言えたら良かったのにな〜と後悔している。
その前に、「それホントか?」と自問したくなる。

楽しい?
楽しいかな〜
楽しいな
うん、楽しいな、楽しい楽しい!