また新しい何かが僕を待っている

営業をなさっているお客さんに「何かコツとか秘訣みたいなものってあるんですか?」と訊いてみたら、こんな話をしてくれた。

「理美容師さんですと、例えば再来店を勧めるDMを出そうかな〜って考えたときに、『なんだこれ?しつこいな〜必死だね!(笑)』なんてネガティブな反応をするんじゃないかって人を思い浮かべて、あーヤメよ!ってなることがあるじゃないですか。
実際は、そんな反応する人なんてごく一部で、ほとんどの人が好意的か特にイヤな反応をしないんですよ。
でも、ネガティブな反応をするであろうごく一部の人に引っ張られてしまう。
こんなんで行動を制限するのはもったいないですね〜
私だったら、三割の人しか好意的に受け止めてくれなくても動きますね!」

この話は随分とふに落ちた。
確かにそうなのだ。
ほんの一部の否定的反応をする人たちをイメージして尻込みしてしまうことがままある。
ホントもったいないですな。
でも、図々しくはなりたくない。
この辺りのバランスを華麗にとりたいもんだ。

「帽子いくつ持ってるんですか?」
お客さんの突然の質問に狼狽えた。
「数えたことないですねー」
「そんないっぱいあるんですか!」
「いや、そんなにはないですけど、なんかこう……数えたら負けと云うか……」

ってことで、数えてみたら九個だった。
なんてこたない。
コレクターでもなんでもない。
この話はレコードにも当てはまるが、レコードはまだ数えないでおく。

息子が、スリップノットのアルバムを買ってくれと言うので、某中古屋さんに行ってきた。
この辺りにあるかな〜とCDコーナーに行ったら「これじゃないよ!レコードで欲しいんだよ!」と言い出したから驚いた。
ジャケットが大きいからレコードが良いのだそうだ。
息子よ、それは確かに正解だ。
でも、CDにしような!

ってことでお目当てのアルバムをゲット。
290円也。
ついでに、リンキン・パークの1st、2ndアルバムもゲット。
こちらも290円。
三枚で870円也。
安い、安過ぎる。

リンキン・パーク、久々に聴いたがやっぱりかっこいい。
中心メンバーに日本人がいることが嬉しい。
フロントマンが一昨年に急逝してしまったことが悲しい。

今日も刺激に満ちた一日になりそうだ。
いや、そういう一日にしよう。
また新しい何かが僕を待っている。

十四才

大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている……

って何かの本に書いてあったけども、確かにそうかもと思う今日この頃なのです。

私がふとしたときに口ずさむ曲がいくつかあって、Paul McCartney の “No More Lonely Nights” 、Dennis DeYoung の “Desert Moon” 、The Alan Parsons Project の “ Don’t Answer Me” などがそうなんだけども、コレ全部中学生のときに夢中で聴いていた曲なのだ。

試験勉強や受験勉強で夜更かししてるとき、ぼんやり居間に出てきて、ぼんやりテレビをつけて、ぼんやり眺めていたのが、当時放送されてた『ベストヒット USA』や『ミュージックトマト』だったんだった。
この頃好きだった曲って今でもずっと好きだもの。
(邦楽だとTHE BLUE HEARTS、ARB、ショーケン、RCサクセション辺りかな)

男性の場合は13~16歳の間にリリースされた曲が、大人になってからの音楽の好みに大きな影響を与えるらしくて、確かにそう考えると、17歳になったときには、あれこれと理屈で考えて音楽を聴くようになってて、そのときの自分が痛々しくて恥ずかしくて、なんだか黒歴史的なものもあったりするのです。
(いやもちろん、今でも大好きな曲はいっぱいあるけども)

16歳までは “純” だったからなのだろうな、多分。
心の奥底にジンワリ横たわっている曲たちは、十四歳の頃のものが最も多いって感じます。
なんでかしら。

それで面白いのが、女性の場合は男性より少し早いことです。
女性は、11~14歳の時に聞いた音楽の影響が大きく、平均13歳の時にリリースされた曲が最も好きな音楽になるのだそうです。
全然、女子の気持ちなんてこれっぽっちもわからない自分だけども、コレは確かにそうかもなと思う。
なんかそうだったじゃないですか、中学生の頃って。
女子の方が、ちょっと先を行っている感じがあったじゃないですか。

ザ・ハイロウズもこう歌ってましたよ。

♪あの日の僕のレコードプレーヤーは
少しだけいばってこう言ったんだ 
いつでもどんな時でもスイッチを入れろよ
そん時は必ずおまえ 十四才にしてやるぜ♪

ふとした瞬間、口ずさむのはスイッチを入れているとき。
随分とオッサンになってしまったけども、それはとても喜ばしいことだけども、自分の中のどこかにまだまだ十四歳の頃の感性がまだ残っているのを感じる。

まあ、何が言いたいかっつーと、やはり音楽は素晴らしいということ。
ずっと聴いてきて良かった。
ずっと好きで良かった。
そういうこと。

股旅。

NO MUSIC,NO LIFE?

「NO MUSIC, NO LIFE.」と云えば、タワーレコードのポスターでお馴染みのコーポレート・ボイスであります。様々なアーティストが、そのコーポレート・ボイスに寄せてのメッセージを載せていまして。それがまたグッと来るものが多くありまして。

で、自分自身の生活を鑑みると、私もまた結構「NO MUSIC, NO LIFE.」を地で行く床屋のオッサンになって来たよな……やっとだけどもね……と思うのです。何しろ、かなり長い間寄り掛かって来ましたからね、音楽に。寝ても覚めても聴いてますからね、自分の好きな音楽を。もしかしたら、そのためにこの床屋って仕事を選んだんじゃ?自分が好きな音楽しか聴きたくないから、一人でやっているんじゃ?と思ってしまうぐらいに。

だから、じゃあもし自分がタワーレコードのポスターに……となったら、どんなメッセージを載せようかしら……と思案してみたわけです。

でもね。こういうとき、私の中で何かちょっと上手いこと言ってやろうって野心が沸沸とわいて来るのがイヤでしてね。醜悪だなと我ながら思うわけです。スッとポッと出てくるような言葉じゃないとイヤですよね。こういうとき、どうカッコつけずにいられるか……これもまた一つの“人の器”を測る指針になるんじゃ?と思うのです。

忌野清志郎先輩の
「音楽は・・・・・LIFE そのもの・・・・・・・・・・なんつって。」
なんて、これこそまさに理想型だぜ!と思うのですが、こういう言葉もいつ誰が発したかが至極重要なわけで、自分如きが発しても何にも説得力がないし、そもそも真似なわけで、やはりココは自分の中から言葉が湧き出てくるのを待たなくては……と思い悩んでいるうちに日が暮れて行くわけです。

スリップノットを夢中で聴いている七歳の息子。一心に歌い、腰を揺らし、リズムを刻む、その息子の姿が、今、再び音楽の聴き方を私に教えてくれている。簡単でイイ。難しいことは難しく考えるから難しいのだ。音楽のみでなく、全てに繋がるこの考えを、息子が私に教えてくれている。
(高崎 哲平/DOODLIN’ BARBER SHOP)

だってしょうがない

四月にやる予定だった RECORD STORE DAY が、コロナの影響で延びに延びて先週末にやっと開催されました。

欲しかった 銀杏BOYZ の再発二枚は、どうやら今回の目玉だったようで、店頭販売では瞬時に完売だったようです。

そもそも、このイベントはレコード屋に足を運んでもらうことを狙ったものなので、事前予約は出来ないし、オンラインでの販売も開催日の二日後にやっと解禁。
心底欲しいものがもしあるようなら当日店を半休にしてでも行かなくてはって感じなのですが、もちろんそこまでしたことはなかったんですね。

でも、今回はコロナ禍ってことで、オンラインでの販売が当日十三時からに繰り上げられましてね。
これなら自分にもチャンスがあるぜ!
と準備万端に鼻息荒くPC前で待機し、解禁時間と同時にアクセスしたら、見事ゲットできたっつーわけです。
ベリーラッキー。

この時点で既に、メルカリとやらで転売が始まっていたようで、価格は四倍。
しかも、それらがすぐさまソールドアウトになるという異常事態。
狂ってますよね。
ホントに欲しい人が買えなくて、転売目的のヤツらが買い占めるというね。
これもまた悲しいけどある意味市場原理なのよね……
なんて言われても腹立たしさは収まるわけがないのです。
(私はもちろん定価で購入しました)

銀杏BOYZ。
五十路手前にもなって、こんな青臭いのを聴いている自分。

「これってどうなのよ?痛々しくはないか?周囲の大切な人に苦い顔をされてないか?」

と我ながらしみじみ思うが、もうこれはしょうがないことだ……と開き直ろうと思う。
そういう風に生きてきてしまったのだ。
アイムソーリー。

十年後くらいに息子が聴くかもな。
ずっと欲しかったレコードなんだ。
この超名盤の二枚。
ずっと大事にしよう。

ココまで来た

「どうも近頃、若者のお客さんが増えてきているな……」

と感じるのです。ヘタしたら、いやヘタしなくても息子と言えるような年齢、十代後半から二十代前半のヤングマンたちが連日来店してくれているのです。

なんかこう、これからは同年代のお客さんたちと一緒に歳を重ねていくんだろうなと漠然と予想していたのですが、どうやらこの予想は外れたようだ。同年代の方々と時代と空気の流れを共有しながら、あの頃はああだったよね〜なんて話をしながら、最近の若いもんは……なんてボヤいたり、体の節々が痛いんだよな〜なんて慰めあったりするようなイメージだったのです。

ヤングマンたちは何を求めて、DOODLIN’ BARBER SHOP を訪れるのだろうか……

私はこう考えました。

親とも違う、今まで出会った先生たちとも違う、会社の上司とも違う、なんかちょっと変な床屋のオッサンの一風変わった考え方、人生観、物ごとに対するアプローチのし方、距離の取り方、それらに興味を持って来てくれているんじゃないか?

だから、そんな変な床屋のオッサンっぽい立ち居振る舞いをしなくちゃだな……だなんてしょうもない決意をしていたのですが、ヤングマンたちと接しててハッと気づくわけです。

いやいや、違う違う。全然違うわ。オレが彼らに何かを与えるなんて、とんでもなくおごましい!オレの方が彼らから学ぶことばかりじゃないの!

この結論には、我ながら震えました。と同時に、年齢なんか関係ないよなとも結論しました。僕は僕を、オレはオレを、私は私を突き詰めて行けばイイのだ。この境地がアレだ。

この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる迷わず行けよ 行けば分かるさ

まさにコレなんですな。(アントニオ猪木氏によると、これは一休さんの言葉らしいのですが、清沢哲夫さんの詩であるというのが、今のところ定説のようです)

行けばわかる……確かにそうかもしれない。結局、行きやしないってパターンが多いですもんね。今現在の心境も、ココまで来たから分かったんですよ、多分。ともあれ、来たんです。ココまで。

で、ココから、また行くんです。