そんな時代になる いや、もうなっている

早いもんで、来月で移転して五年になる。光陰矢の如し過ぎである。あのとき二歳だった息子は七歳になり、小学二年生になった。妻さんは四十代になり、私は四十代最後の年齢になった。

と言っても、世の中はこの有様。三ヶ月近くも学校は休みになり、外出も控えなくてはなわけで、ここ最近は “家族漬け” なのである。ホントまあ、よく漬かったもんだ。

こんな濃厚濃密な家族時間は、これで最後かも知れない。そう考えると、これはもしや私の大好物である “期間限定” “プレミアム” な、ある意味貴重な時間だったのかも知れない。

こんなふうに書くと、こんな時間もそろそろ終わりの予感ムンムンな感じだが、実際どうかわからんのが現状なわけで、ある意味「希望的観測」なだけなのだが、ソロソロね、終わってもいいんじゃないのコロナちゃん。

移転して五年になるのか……そうか……

ってことで、今新しいTシャツを作っている。毎年この時期に新作を出していたのだが、今年はほらね、こんなんじゃない?ってことでアイデアだけをつのらせて、そこでストップかけていたのだが、とあるお客さんの

「偉い人がくれるお小遣い十万円を有意義に使いたい。ネット販売とかじゃなく、縁のある繋がりのある実店舗がある店で……なのでTシャツ作らないんですか?作るんなら買いたいです!」

とのありがたき御言葉で、一気に作る運びになったんだった。で、まあこんな世の中だし、おこがましくも何かメッセージ的な文言を載せたいなとムンムン考えて「お〜コレだ!」と思いついたのが  

“Go Slowly”

まあ色々あるけどゆっくり行こう……ってね。そんな悠長なこと言ってる場合じゃないぜとお叱りをうけるかもだけど、いいじゃないですか、暮らしとか生き方に理想があるって。そういうの大事にしなくちゃいけない時代になったんじゃないかなと。

で、ここで種明かし。今回の、このデザインの元ネタになったのは「トイ・ストーリー」のエンドクレジットです。あの字体にグッと魅力を感じてて、いつか使いたいなと思ってたのだ。

こういうこと考えているときはホント楽しい。楽しいことばかりで周囲を固めていけたらなと思う。みんながそうすれば、きっと楽しい世の中になる。

そんな時代になる。いや、もうなっているかも。

Watch Your Step

あれやこれやとなんだかんだしているうちにいつの間にやら五月も半ば過ぎ。このまま春を満喫出来ぬまま梅雨を迎えることになるのだな……そう思うと口惜しいのである。

数年後「2020年の春はなかったようなもんだ……」誰かが何処かでそう呟いているかも知れない。

2020年の春と云えば、あの床屋のおっさん、随分とあたふたしてやがったな〜ケロケロ。

なんつって、いつか何処かで嘲笑されたくないぜ!と思い、私は自分自身の言動に気をつけている。そうだ、自分ポリスだ。

ちょっと待て、それ言う前に、それする前に、一度立ち止まって周囲を見渡し、深呼吸し、スクワット三十回しておこう。気持ち的にはそれぐらい引き締めているつもりだ。

某有名DJは、自身の SNS で、聴いているレコードと家族ネタしか投稿していないらしい。今まで通り、何も変わらずにだ。

私は、それもある意味メッセージだと思う。強がりではない。そうありたいよねって意思を感じる。ジタバタすんなよ、ホコリが立つぜってね。全然違うかもだけど。

どうやら偉い人が、近々一人十万円のお小遣いをくれるらしい。それはありがたいぜとほくそ笑んでいたら、先日カットしに来てくれた若者が

「ボクはちゃんと使いたいと思っているんです。それもネット通販とかではなく、実店舗に。縁のある店で使いたいんですよ。なので、新しい DOODLIN’ のTシャツ作って欲しいな〜」

なんて言ってくれたもんだから「偉いな〜」と感心するのと同時に嬉しかった。例年だと、GW明けに「新作作るんだぜ〜」と鼻息荒く発表していたのだが、今年はしていない。なんだかどうも、ほらそんな空気じゃないじゃない?と手前勝手に自粛していたのだ。

でも、彼からのありがたい言葉を頂戴して、気が変わった。そもそもなんで私はブレーキをかけていたのだろうか。全然止まる必要なかったじゃないか。

ってことで、今新作TEE を作っている。今回はいろいろ思うところあって、フロントにはDOODLIN’ BARBER SHOP としての、今この現況を踏まえての「こうありたい、こうなりたい」って思いを乗せたメッセージをプリントすることにした。(屋号はバックに小さく。ここもミソ)

なんかこう、小さな床屋ではあるけれど、自分はこうありたいってのを発信してもイイじゃない!そう思えたのだ。

来月の十六日、ここに移転してちょうど五年になる。それに合わせてリリース出来るよう頑張っている。なんだか、とても良いものが出来る予感がムンムンしているので、是非とも楽しみにしていただきたい。

どうぞヨロシクお願いします。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝

無敵のマスターピース

近頃の我が家の日々の日課として、息子の就寝前に読み聞かせをしている。妻さんと私と息子と、それから猫の“すなすけ”も一緒にだ。

読み聞かせに何かイイ本は……

と探してて見つけた本があって、それが古今東西の名作百選を五分程度で読めるように要約したもので、息子も飽きることなく、読む方も疲れることなく、スイスイと名作に触れることが出来るっつー優れものなのである。

しかしまあなんだね。名作と云われるものには、そう云われるだけのものがあるね。

幼少時に読んだきりで、ストーリーも設定も記憶が曖昧になってしまっているから「え!こんな話だったっけ!」と驚かされてばかり。『杜子春』とか『ごんぎつね』とか『マッチ売りの少女』とか『小公女』とか、物凄いんだもの。要約されたものなのに目頭熱くなっちゃったりしてね。さすがマスターピース。

信じられないぐらい憎たらしい登場人物とか出てくるし、コレって児童文学としてどうなの?いや、本来コレが普通なんだよね!と妙に納得してしまったりしている。

《宮沢賢治の『注文の多い料理店』も収録されてて、それがとても面白かったから調子に乗って『宮沢賢治 児童文学集』を買ってみたのだが、元祖の『注文の多い料理店』は小学校低学年には到底理解出来ないであろうもので、久々にクールポコ(やっちまったな)しちゃったなと反省。要約ってスゴいなといたく感心》

話は圧倒的に変わる。

先日、営業中にリトル・リチャード(先日逝去、享年87歳)を流していたら、お客さんに『火の玉ロック』って誰が歌ってましたっけ?と訊かれて、「プレスリー?いや、それは『監獄ロック』か、あ!ジェリー・リー・ルイスですよ!」と答えに行きついたんだった。

二人でウンウンとうなずき合ったのだが、それから私の頭に『火の玉ロック』って曲名がこびりついちゃって、

そこから「『火の玉ロック』か……そういえな『火の玉ボーイ』って漫画があったな、あれ好きだったな。作者は石渡治さん。で、代表作はやはり『B・B』。テッペー少年が十代の頃に夢中になった漫画だ。思い返すとそのストーリーはトンデモ破天荒。でも、面白かったな〜今読み返したらどうなんだろ……ってことで、30年ぶりに読んでみようと思う。ワクワクするぜ。

で、ついでに『火の玉ロック』を歌ったジェリー・リー・ルイスについてちょっと調べてみたら、7回結婚してて、その相手の中には13歳の未成年(15歳だぜと嘘ついてたらしい、しかもジェリーこのとき22歳なのに結婚3回目!)がいたりするし、溺死した方もいたり、ジェリーによる虐待死を疑われている方もいるし、子どもは少なくとも六人はいるらしいんだけれども、そのうち二人は亡くなっているしで、コレはもう「ロックンロール!」だなんて到底シャウトできないぐらいの経歴の持ち主だったんだった。

ジェリー・リー・ルイスの人生もまたトンデモ破天荒。現在84歳で存命だ。

軽妙洒脱という生き方

どうもこんにちは。

五月晴れ、そんな言葉があるが、これって本来旧暦の五月なわけで、つまり今の六月、つまり梅雨時にチラッと現れた晴れ間のことを言うらしい。
だから今日の素晴らしい陽気のことは五月晴れとは言わないのかな……と思いきや、別に使ってイイらしい。うむ、柔軟!
そうやって、世の中や文化は時代に即して変化しているっつーわけだ。柔軟、大事!でも、頑なも大事!どっちかに偏るのはあまり好ましくないし素敵じゃない。そんな境地に達しつつある、先日四十九歳になった床屋のおやじさん、それが私である。

こんな陽気にはコレだねと朝から De La Soul を聴いている。我ながら素晴らしくてナイスチョイスだ。容赦なく気分がアガる。

そういえば、近場に “MIYA DE LA SOUL” というラーメン屋があるらしくて、いつか行きたいぜと野望を募らせている。屋号に遊び心ある店ってイイ。自分は、屋号に遊び心を乗せられなかった。そんな気概とユーモアがなかったのだ。なんかこう、どこかでカッコつけてしまっているのだ。

軽妙洒脱、そんな四文字熟語がある。軽やかで、洒落てて、俗っぽくなくて、さわやかで、洗練されて、しかも巧み……そんな意味合いで使われるのだが、まさに私の追い求める理想的な姿、それこそがコレなのだ。まだまだ全然軽妙でもないし、洒脱でもない。軽でも妙でも洒でも脱でもありゃしない。つまり、一つも引っかかっていない!

でもね。いつか手を伸ばせば届くんじゃない?まさか?ってぐらいにはなりたい。

そんなテンションで始まった定休日。ステイホーム?与えられた状況&条件でどれだけ楽しめるか。それは己の歩んできた道、培ってきた教養次第なんだぜと誰かが言っていたよ。

軽妙洒脱に楽しもう!

変わったのは自分だった

ここ数年、夕焼けがやけに眩しくなったなと感じてて、うむ、これはきっと大気がどうかなっているんだな……

と地球規模の環境危機を憂いていたのだが、他の誰かに話してみても「ん?」という反応しか得られない。

なぜだ?もしや宇宙人がオレの知らぬ間にオレの身体で人体実験を?まさかオレの身体のどこかにチャクラが生じるのでは?

とワクワクしていたのだが、ある機関の調査により、どうやらこれは自分の老眼の影響らしいと判明したんだった。アッチョンブリケ。

周囲が変わったと思っていたら、実は自分自身が変わっていた……

こういうことは、これ以外のことでもよくあるよなと感じる。

そうだ、これはあれだ。これはまさしく茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」で書かれていることだなと思った。

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

これだな……

夕焼けが眩しいのを環境破壊のせいにするななにもかもみずからの老いのせい

これだよ……

そんなわけで先日四十九歳になった。そしたら次兄から『復刻版 ザ・ブルーハーツ写真集』を戴いた。欲しかったから嬉しい。自分から自分への贈り物としては『使ってはいけない言葉』(忌野清志郎著)を進呈。『吉里吉里人』(井上ひさし著)は、甲本ヒロト先輩とタモリさんがテレビで「面白いよね〜」と言っていたので、この二人がそう言うならと鼻息荒くゲットしたのだが、ずっと読めずにいたので、ここいらでガッツリ読もうと企んでいる。『邂逅の森』(熊谷達也著)は、敬愛するデザイナーさんが勧めていたので手にとった。

ネットをブラブラしていると「今読んでいる本、これから読もうとしている本」を紹介している人を多く見かけてて、なんでかな〜ああそうだ、みんな自粛で自宅待機を強いられているから、本を読む機会が増えているんだろうな〜って気がついた。なるほどである。

股旅。