NO MUSIC,NO LIFE?

「NO MUSIC, NO LIFE.」と云えば、タワーレコードのポスターでお馴染みのコーポレート・ボイスであります。様々なアーティストが、そのコーポレート・ボイスに寄せてのメッセージを載せていまして。それがまたグッと来るものが多くありまして。

で、自分自身の生活を鑑みると、私もまた結構「NO MUSIC, NO LIFE.」を地で行く床屋のオッサンになって来たよな……やっとだけどもね……と思うのです。何しろ、かなり長い間寄り掛かって来ましたからね、音楽に。寝ても覚めても聴いてますからね、自分の好きな音楽を。もしかしたら、そのためにこの床屋って仕事を選んだんじゃ?自分が好きな音楽しか聴きたくないから、一人でやっているんじゃ?と思ってしまうぐらいに。

だから、じゃあもし自分がタワーレコードのポスターに……となったら、どんなメッセージを載せようかしら……と思案してみたわけです。

でもね。こういうとき、私の中で何かちょっと上手いこと言ってやろうって野心が沸沸とわいて来るのがイヤでしてね。醜悪だなと我ながら思うわけです。スッとポッと出てくるような言葉じゃないとイヤですよね。こういうとき、どうカッコつけずにいられるか……これもまた一つの“人の器”を測る指針になるんじゃ?と思うのです。

忌野清志郎先輩の
「音楽は・・・・・LIFE そのもの・・・・・・・・・・なんつって。」
なんて、これこそまさに理想型だぜ!と思うのですが、こういう言葉もいつ誰が発したかが至極重要なわけで、自分如きが発しても何にも説得力がないし、そもそも真似なわけで、やはりココは自分の中から言葉が湧き出てくるのを待たなくては……と思い悩んでいるうちに日が暮れて行くわけです。

スリップノットを夢中で聴いている七歳の息子。一心に歌い、腰を揺らし、リズムを刻む、その息子の姿が、今、再び音楽の聴き方を私に教えてくれている。簡単でイイ。難しいことは難しく考えるから難しいのだ。音楽のみでなく、全てに繋がるこの考えを、息子が私に教えてくれている。
(高崎 哲平/DOODLIN’ BARBER SHOP)

だってしょうがない

四月にやる予定だった RECORD STORE DAY が、コロナの影響で延びに延びて先週末にやっと開催されました。

欲しかった 銀杏BOYZ の再発二枚は、どうやら今回の目玉だったようで、店頭販売では瞬時に完売だったようです。

そもそも、このイベントはレコード屋に足を運んでもらうことを狙ったものなので、事前予約は出来ないし、オンラインでの販売も開催日の二日後にやっと解禁。
心底欲しいものがもしあるようなら当日店を半休にしてでも行かなくてはって感じなのですが、もちろんそこまでしたことはなかったんですね。

でも、今回はコロナ禍ってことで、オンラインでの販売が当日十三時からに繰り上げられましてね。
これなら自分にもチャンスがあるぜ!
と準備万端に鼻息荒くPC前で待機し、解禁時間と同時にアクセスしたら、見事ゲットできたっつーわけです。
ベリーラッキー。

この時点で既に、メルカリとやらで転売が始まっていたようで、価格は四倍。
しかも、それらがすぐさまソールドアウトになるという異常事態。
狂ってますよね。
ホントに欲しい人が買えなくて、転売目的のヤツらが買い占めるというね。
これもまた悲しいけどある意味市場原理なのよね……
なんて言われても腹立たしさは収まるわけがないのです。
(私はもちろん定価で購入しました)

銀杏BOYZ。
五十路手前にもなって、こんな青臭いのを聴いている自分。

「これってどうなのよ?痛々しくはないか?周囲の大切な人に苦い顔をされてないか?」

と我ながらしみじみ思うが、もうこれはしょうがないことだ……と開き直ろうと思う。
そういう風に生きてきてしまったのだ。
アイムソーリー。

十年後くらいに息子が聴くかもな。
ずっと欲しかったレコードなんだ。
この超名盤の二枚。
ずっと大事にしよう。

ココまで来た

「どうも近頃、若者のお客さんが増えてきているな……」

と感じるのです。ヘタしたら、いやヘタしなくても息子と言えるような年齢、十代後半から二十代前半のヤングマンたちが連日来店してくれているのです。

なんかこう、これからは同年代のお客さんたちと一緒に歳を重ねていくんだろうなと漠然と予想していたのですが、どうやらこの予想は外れたようだ。同年代の方々と時代と空気の流れを共有しながら、あの頃はああだったよね〜なんて話をしながら、最近の若いもんは……なんてボヤいたり、体の節々が痛いんだよな〜なんて慰めあったりするようなイメージだったのです。

ヤングマンたちは何を求めて、DOODLIN’ BARBER SHOP を訪れるのだろうか……

私はこう考えました。

親とも違う、今まで出会った先生たちとも違う、会社の上司とも違う、なんかちょっと変な床屋のオッサンの一風変わった考え方、人生観、物ごとに対するアプローチのし方、距離の取り方、それらに興味を持って来てくれているんじゃないか?

だから、そんな変な床屋のオッサンっぽい立ち居振る舞いをしなくちゃだな……だなんてしょうもない決意をしていたのですが、ヤングマンたちと接しててハッと気づくわけです。

いやいや、違う違う。全然違うわ。オレが彼らに何かを与えるなんて、とんでもなくおごましい!オレの方が彼らから学ぶことばかりじゃないの!

この結論には、我ながら震えました。と同時に、年齢なんか関係ないよなとも結論しました。僕は僕を、オレはオレを、私は私を突き詰めて行けばイイのだ。この境地がアレだ。

この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる迷わず行けよ 行けば分かるさ

まさにコレなんですな。(アントニオ猪木氏によると、これは一休さんの言葉らしいのですが、清沢哲夫さんの詩であるというのが、今のところ定説のようです)

行けばわかる……確かにそうかもしれない。結局、行きやしないってパターンが多いですもんね。今現在の心境も、ココまで来たから分かったんですよ、多分。ともあれ、来たんです。ココまで。

で、ココから、また行くんです。

虹は待つな 橋をかけろ

今日は朝から芝刈りをした。
それからサッチングをしてたら、みるみる気温が上昇してきて、チリチリ肌が焼けるのを感じた。
で、仕上げに水撒き。
すると、人口の虹ができた。
虹をぼんやり眺めてたら、なんとも和んで、なんだか良かった。
これこれ、こういうの良いよねって思った。

その虹を写真に収めて、ブログに使おうかしらん……と思いついたのだが、手元にスマートフォンはない。
わざわざ取りに行って、せーの!なんつって撮っても、なんだかそれは鮮度が低いものになっている気がしたので、ヤメた。
これがアレか。
不粋ってヤツか。

子どもの成長は早いな……
息子が着れなくなったスウェットを見てたら、なんだかしみじみした。
バックプリントがかっこいいな〜と思ったので写真を撮った。
わざとらしくならないように気をつけて。
でも、気をつければ気をつけるほど、わざとらしくなるのよね。
ナチュラルには程遠い。
程遠いから憧れる。
憧れている時点で程遠い。

近頃、本が読めている。
もっぱら、中上健次作品ばかりだが。
中上健次作品は読むとズシーンと来るものばかり。
そのズシーンを求めて読んでいる。
ズシーンが続くとズシーンがちょっと嫌になってくる。
飽きてくる。
そしたらズシーンを止める。

飽きるまで突き詰めてみる。
実はコレって、あまり出来ないことに気付いた。
飽きる以前に夢中にすらなれなかったりする。
飽きられる何かがあるって実は幸福なことだったりなんかしちゃったりして。

子どもの頃は、それが普通なことだったのにな……なんてぼんやり考えながら、いまを生きている。

人はやはり……面白い

息子が巨大な恐竜のおもちゃを買いました。自分のお金、貯めていたお小遣いとお年玉を使ってです。(正確には恐竜ではありません。映画『ジュラシック・ワールド』に登場する人間が作り出したハイブリッド恐竜で、その名は “インドミナス・レックス”)

息子は、自分のお金で買ったことが、とても誇らしく嬉しいようです。学校に行っている間、お店に置いておくから、これを見たお客さんたちの反応を教えて……なんてことを言うので、今、店のソファにはドドーンと息子の巨大な宝物が鎮座しています。

全長96cm。子供のおもちゃの範疇を悠々と超えたドキドキワクワクが止まらないアメージングなデカさです。案の定、お客さんたちのリアクションは大きく、息子にそれを報告したらえらく御満悦のようでした。

ボクはというと「やっぱりオレが求めているのは人間ドラマなんだよな〜」なんつって、映画『楽園』を観たり、その原作である『犯罪小説集』(吉田修一著)を読んだりして、そのシリアスさ加減にゲンナリしちゃったりしています。

人とは……やはり人間なんて……

などと呟きながら、遠い目をしちゃっています。重症です。

この傾向を、まだまだ引きずろうと思っていますので、次なりベリーシリアスなものを只今探索中。欲しているのは人間ドラマ。重厚なのを求めています。

などと言いつつ、ライトでイージーなものも同時に欲している自分がいたりするから不思議です。まあ、ただの気まぐれなんでしょうけど。

人はやはり……面白い。