見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる

年明けより縄跳びを始めて三ヶ月弱。途中かなりの筋肉痛に悩まされたりはしたが、どうにか続けている。見かけの大きな変化を感じてもらえることは皆無だが、なんだかちょっと体力がついた気はする。今はだいたい200回を5セット跳ぶことを日課としている。これをこのまま続けてみよう。痩せたとかそういうのはまあ置いといて、そりゃまあ痩せた方が嬉しいけども、ともあれ縄跳ぶことがなんだかイイ感じなのである。体の奥底にポッと火が灯った……そんな心地なのである。

小学生の頃、二時間目と三時間目の間に「業間」という自由時間があった。たかだか二十分間ぐらいだったと記憶しているが、それがとてつもなく長く充実した時間だったのを覚えている。今となっては、二十分なんて欠伸している間に終わりそうだ。二十分与えられても、何もしないな多分きっと。何かし始める前に終わる時間を考えて、カウントダウンを始めてしまうに違いない。

子どもは大人の四倍の密度で時間を過ごしていると誰か偉い人が言っていたが、これはきっと本当のことなのだろう。もし八十分与えられたら、いろんなことが出来る。あれしてこれして何してそれして。さすればそこにドラマが生まれる。

そう考えると、大人にとってはほんの僅かな時間に感じるときも、子どもはそこにドラマを生み出し、大冒険を敢行しているのかも知れない。なんだかちょっと羨ましい。かつては自分も子どもだったくせに、羨ましい。

さてと。目に見えないウイルスを早いとこぶっ飛ばしちまおうぜ。

要は熱量の問題なのである

外は春の陽気が漂い始めているというのに、新型コロナウイルスちゃんの影響で、何だかな〜ゲヘ〜と感じさせられる閉塞感に包まれている。なんだか息苦しく感じるのは気のせいではないだろう。なので私は、こんなときはこれだなと毎晩のように『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観ている。

その尋常じゃない画面から迸ってくるエネルギー。胸が熱くなる。この正体は、きっと作り手の情熱が化けたものなのだろう。私がもし映画を撮る人間だったなら、こういう映画を撮りたい。

私がもしミュージシャンだったなら、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーになりたい。私がもしジャズピアニストだったなら、デューク・ピアソンのようなピアノが弾きたい。私がもし文筆家だったなら、向田邦子さんのような文章を描きたい。私がもし画家だったなら、ジャン=ミシェル・バスキアのようなグラフィティ・アートを描きたい。私がもし漫画家だったなら、松本大洋のような作品を描きたい。私がもしサッカー選手だったなら、ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾのようなプレイヤーになりたい。私がもし役者だったなら、ジャック・ニコルソンになりたい。私がもし詩人だったなら、萩原作太郎のような詩を書きたい。宇宙に手が届くような、そんなリズムで言葉を刻みたい。私がもしイケメンになれるなら、雰囲気イケメンになりたい。

そうなのだ。要は熱量の問題なのだ。私は激しく熱量を放つ物事に大いに魅きつけられる。

さてと。新型コロナウイルスの影響でコロナビールの売り上げが激減したというニュースがあったが、あれはどうやらガセネタのようだ。この話を聞いたとき、人っつーのは古今東西問わず、賢いようで案外バカなのねと思った。

この米国から発したデマを検証した学者さんが
「多くの米国人は、同じ米国市民のことを、バカだと思い込んでいるのだろう……」
と言っていたが、これって多くの日本人にも当て嵌まるんじゃない?どう?と思った。でも、人間そんなもんだよな……哀しいけどこれ現実なのよね……とも思った。

これから、なんだかんだ言いつつも全てが良い方向に行ってくれたらなと思う。2020年って大変だったよな〜と微笑まじりに振り返られるようになったらイイなと思う。

寛容でよろしく

おはようございます。本日は定休日なのですが、もうおっさんなのでグイグイ早起きちゃって、あれしてこれして何してそれしてとアクティブに動き出しております。この早朝さ加減がね。なんだかね、ものすごく有意義な時間な気がするのです。

今、手元には『妻と僕の小規模な育児』(福満しげゆき著)というコミックがありまして。

これの前作にあたる『僕の小規模な生活』は私に「結婚ってイイものかもな〜結婚したい!」と思わせてくれた、そのタイトル通り極々私的な作者の身近な日常を描いている作品で、それが自分とシンクロする部分が多々あるなと勝手に感じ、勝手にシンパシーを感じまくっていた私にとって、とても大切な漫画だったのです。(同年代、同沿線在住、九州出身の妻ちゃん、しょうもない主人公、子どもは男の子などなどなど私との共通項多々なわけです)

それの続編で、しかも『育児編』が出たっつーんだから、これはもう勝手にシンクロ&シンパシーアゲイン確定だなと鼻息荒く手にとったわけです。まだまだ読み始めですが、やはり面白い。そしてくだらない。そしてなんだかちょっとホロリとさせられる。『天の瞳』(灰谷健次郎著)に次ぐ、私の育児参考書として大切に読み進めたいと思います。

没後十年ということで、Nujabes の超絶名盤『Modal Soul』のアナログ盤が再発されたりで、私周辺でもにわかに Nujabes ブーム再来となっております。店でもヘビーローテーションさせていただいているのですが、格別お客さんからの反応が良いですね。「不滅の名盤」とはこのことか。まさにこのことであるって感じです。

若きアスリートのお客さんにも「試合前のコンセントレーションを高めるのにはこれがオススメですぜ。あの錦織選手も試合前に聴いているらしいですぜ……」と勧めておきました。皆々様も是非。

とここで、今パッと思いつきました。

順調に行けば再来月で四十九歳になる私。そうだ、五十歳までの日々よりそう言葉を『寛容』としようじゃないかと。『寛容』イイじゃないですか。調子良ければ、余生の指針となる言葉としても採用しよう。

では股旅。

ポップ街道 真っしぐら

もうすぐ七歳になる息子の恐竜熱 & 恐竜愛は、さらに高まるばかり。毎日せっせと水性カラーペンやら色鉛筆やらを駆使して恐竜を描きまくっている。近頃は違う種類の恐竜をかけあわせて、新種のハイブリッド恐竜まで作り出している。息子の想像力 & 創造力は、アンストッパブルだ。

その全長、全高、重量にまで、息子の興味は及んでいるようで、その大きさを想像するのが楽しいらしい。面白いのが、既存の恐竜のおもちゃと自分が描いた恐竜とを戦わせて遊んでいるところだ。どうやら、そこに境界線はないようで、既存のものも自分が作り出したものも同じ土俵に立てるのだ。それがなんだか、スゴいな〜と感心させられる。コレはコレ、あれはあれと振り分けてしまっている自分の感性がつまらないなと痛感させれているエブリデイなのである。

さて、その息子が描く恐竜なのだが、私がコレはなかなかどうしてなかなかイイんじゃないか?と思わされているのが、その色使いなのである。

何しろポップなのだ。
そして、このポップ、コレがなかなか曲者なのだ。

狙ってやるとあざとくなったりするし、そもそも狙って出来るものではないのかもしれない。上手下手ではない。ポップであるか、そうではないか……そこが肝心なのである。

親バカと笑われてもかまわない。私は息子の持つ「ポップさ加減」をリスペクトしている。どうかそれを失わずに、ポップ街道を全力真っしぐらでぶっ飛ばしてもらいたい。

コレが慣れってヤツなのか

おかしなもので、一週間も経つと息子の学校が休みなのが普通になってくる。

これが慣れってヤツなのか。少しは慣れてくれないと困るが、普通じゃなかった物事がいつの間にか普通になるってちょっと怖くもある。頭の良い悪いヤツらが人間のこういう習性をうまく利用したりしませんように。

横浜市立大学が、新型コロナ患者の血清からウイルス抗体検出に成功したそうで、それがどれだけ凄いことなのか全然ピンと来ないが、これは絶対凄いことに違いない。

人ってスゴい。どうにかしようと考えて頑張って、そしていつしかどうにかしてしまうのだもの。これが弛まない努力ってヤツなのか。人類 vs ウイルス。このカオスが、早くに終息しますように。もちろん、人類の圧倒的勝利で。

なんだかちょっとさ、ギスギスしているじゃない。怒りの矛先をどこに向ければイイのかわからないし、んじゃ、とりあえずコレに向けとくか〜みたいなのが、あるじゃない。そういうのが、早くなくなりますように。

とにかく笑えれば、最後に笑えれば……ですよね。