必要なのはアイデアと熱量

仕事用にとゲットした道具箱が良い塩梅。

カッコ良くステッカーチューンしちゃうぜと鼻息荒くしてたら、ふと四年前の移転時に当店ロゴのカッティングシートを余分に作ってたことを思い出し、ゴソゴソ取り出して、コレだよコレとビシッと貼ってみた。

インナーボイス&グルーヴに従って勢いで「ココだ!」と位置を決めたのだが、貼り終わってみると、なんだか左寄りになっちまったなと消沈。

こういう時は一度深呼吸する必要があるなと学んだ。勢いとかノリとかグルーヴとか大好物だけど、小生も今や五十路手前。そればかりじゃただの痛いオッサンなだけなのだよ。常々日々学びなのである。

お客さんからお借りした DVD BOX 『FARGO/ファーゴ』が信じられないぐらい面白過ぎて鼻血が止まらないし、窒息しそうだ。コーエン兄弟による1996年の映画『ファーゴ』に着想を得て作られたテレビドラマってことだし、勧めてくださったお客さんも相当な映画マニアなわけで、そんな方が是非観てとピンポイントでボクに狙いを定めて勧めてくれたわけだから、確実に面白いに違いないのだが、正直全十話(しかもシーズン1、2セットで全二十話)ともなると観始めることに少々躊躇いもあった。

しかしまあ、観始めてみたら、そんな思いはどこかへ霧散した。何度も言うが強烈に面白いのである。アホなことに、そのパッケージで判断してシーズン2から観てしまったのだが、今となっては、それが良かった。

シーズン2を観終わって、実際これ以上面白いことってあるの?と思っていたのだが、よくよく考えてみたらシーズン1が良かったから、シーズン2が作られるわけで、そしてシーズン1を観始めてみたら、シーズン2がかすむくらいに面白いのだから参った。スゴイ。

コーエン兄弟作品への多大なるリスペクトもちゃんとすみずみまで感じるし、かといってモノマネでは決してなくて、そこにはオリジナリティが満ちている。こういうドラマ、日本でも作ってくれませんかね。予算がどうこうってのもあるだろうけど、決め手になるのは脚本とアイデアと作り手の熱量なんじゃないかと。(その点『宮本から君へ』の映像化は最高でした。ありがとうございます。)

さてと。んじゃ、仕事します。アディオス。

それが大事

ものすごく今更なのだが『整理整頓』の重要さを痛感している。『整理整頓』さえ出来ていれば、まず人生でつまずくこともないのでは?と思えるぐらいにだ。

そういえば小学校の教室には必ずと言っていいぐらい、『整理整頓』とどこかしらに記されていた。先生たちも何かといえば『整理整頓!』と口にしていた気がする。

身近にあった言葉なはずなのに、どこか遠くにあったな。『整理整頓』さえすれば、とても店として良くなるだろうし、何より自分の気持ちが良くなる。それがわかっているのに腰が重いのはなぜだろうなぜかしら。

そういえば何かの小説でこんなことが書かれていた。

無形重要文化財的人物に弟子入りしたのだが、来る日も来る日も掃除ばかりさせられている、一年近く経つのに技術の一つもまだ教えてもらえていない……
そうぼやく青年に「それがなぜかわからんようだったらモノにはならん……」とぼやかれた人が説くなんつー話だ。

この場面が妙にしっくり自分に入ってきたのはなぜだろうなぜかしら。

なんてことをココで書いているのは、自分自身に「整理整頓しっかり心がけようぜ!」と言い聞かせるためだ。

もう一度言う。

『整理整頓』大事!

それにつけても憎いのはハエの奴らである。心地よい空気感に誘われて、入り口ドアを開けて営業していたら、一匹のハエがインザハウス。出て行ってくれよと懇願するも、どこ吹く風でブンブブンブン。しまいには、もう二匹入ってきて発狂しそうになった。

一夜明けた今も、ブンブン飛んでいやがる。いったい彼らの目的はなんなのだろうか。何をどうしたいのか問いただしたい。

ハエといえば虫なわけだが、昨日六歳半の息子がトノサマバッタを捕獲した。さすがトノサマと言うだけある。殊更、その姿は立派だ。王者の品格すら漂う。息子はカナヘビ も自分で捕まえた。これらを獲るには、知恵とアイデアと反射神経が必要だ。

この『自分で』というのが大切だと思う。虫が獲れたからって、それがなんだっちゅーんだ!と賢いあなたは言うかもだが、こういうの大事。トノサマバッタ、なかなか獲るの難しいよ。獲るのが難しいと知ることも大事。

四十八歳の床屋のおやじさんは、店内に侵入したハエをどう退治すべきか苦悶している。こんな年齢になっても知らんことばかりだ。上手く退治出来たら、その方法を息子に伝授しよう。さすれば、彼の今後の人生「ハエのやろう!」となったとき、ジタバタ慌てることもないだろうし。

話が行方不明になってきたので、そろそろ退散します。

股旅。

The fool on the hill

息子がやりたいというのでダウンロードした顔変換アプリが面白い。


色々遊べるのだが、中でも秀逸だなと感心したのが、手持ちの顔画像と自分の顔をミックス出来る機能だ。

いくつかやってみてハッとしてグッと来たものを並べたのが、この画像だ。左端はマイファーザーとのミックスなのだが、もはやこれは父だろ!とシャウトしたくなるほど似てて笑った。他のは、友人アラヤンが描いた市川海老蔵とカウント・ベイシーとジョーカーである(ちなみにジョーカーは『ダークナイト』バージョンである。今上映中の「JOKER」も観ました。感想はお店で語らいましょう)

しかしまぁなんだな……と時折感じるのが、こういう機能って、何がどうなってそうなるのか全然わかってないのに楽しんじゃっているよねオレ。でもそれってどうなの?いいのそれで?いいんです!ということ。

これに限らず、見渡してみれば、こういう物事にばかり囲まれて暮らしていることに気づく。何処かの誰かが「あなたがたがボーッと過ごしているうちに、ものすごく頭の良い人たちが世の中をどんどん変えていっている……」と言っていたが、ホントそうなのよね〜ウフフと鼻くそほじりながら、丘の上で沈みゆく太陽を眺めながら世界が回ってるのを見つめてしまう。(ビートルズの「The fool on the hill」は僕の人生のテーマ曲なのです。とっても恥ずかしながら)

そんなわけで、遅ればせながら当店15周年記念的スウェットの製作に入りました。良いのが出来そうな期待ムンムンです。お楽しみに。

そんなことを思った。

ぼんやりテレビを眺めていたら、若かりし頃に世界百数十カ国を旅したんだという人が出てて「あちこち旅をして、いろんな物事を見聞きし、貧しい方々を見てきたけど『貧しいんだな』ということしかわからなかった……」みたいなこと言っていた。
「わからなかった」って正直だなと思った。「わからない」ってことを「わかる」って大事だなと思った。わかったふり、知ったかぶり、そういうのなるべくしたくないなと思った。

先週末、ものすごい台風が来た。おそらく四十八年の人生で一番猛烈な台風だったろう。先月の台風15号の猛風によって傾いてしまった我が家のオリーブ。造園屋さんが剪定し補強して立て直してくれたのだが、予報では瞬間最大風速60mとか言ってて、これはもうまたやられてしまうんじゃないかと不安に慄いていたのだが、台風去りし後もビクともせず直立不動。朝日の中、その勇姿を眺めたとき、拝みたくなるような気持ちに駆られた。でも拝まなかった。

台風一過の青空の下。安堵の気持ちとあいまって、たまらなく気持ち良かったのだが、被災した方々のことを思うと罪悪感を覚えた。以前は、どこか遠くの人々のことなどかまうことなかったのだが、いつの間にやらそういう気持ちが芽生えるようになっていた。人はもしかしたらこれを成長と呼ぶのかもしれないなと思った。

股旅。

一人いればいい

小学一年生、六歳半の息子 倫太郎が近頃夢中なのはトカゲ。
近所の友達とあちこち駆け回って捕獲している。
大きさや色でレア度のランクがあるらしく、レインボーで大きいのを捕まえたらヒーローになれるようだ。
 
 
 
彼らが夢中で探しているのをぼんやり眺めていたら、何やら息子がむずかっている。
それもそうだ。
ただ一人の一年生なのだから、スピードもテクニックもまだまだ上級生に及ばない。
 
 
「オレにちょーだい!」
 
 
涙目でうったえている。
そんな一年生を、なんだよまったくさ〜と困り顔の上級生たち。
そんな中、一人の上級生が
 
 
「お前らそう言うのよせよ。年下なんだからさ。
俺たちが獲ってやろうぜ!」
 
 
と言ってくれた。
彼はきっとリーダー的存在なのだろう。
 
 
「よし!じゃあ、次獲ったのは倫太郎にあげよう!」
「オーッ!」
 
 
なんて急展開するから、子供って面白い。
 
 
その言葉通り、次に獲ったのを息子はもらった。
そのあと、みんなで何匹か獲ったのだが、一人だけ一匹も獲れなかったコがいた。
 
 
「倫太郎の一匹、ちょーだい!」
 
 
彼が言い出した。
息子は、私が獲ってあげた大物をすでに持っていたので、さっきもらったのを合わせると二匹が虫カゴに入っていた。
でも、息子はそれをあげたがらなかった。
 
 
「これ、オレのだもん!」
 
 
「ちょーだい!」
 
 
「やだ!」
 
 
二人とも、もう泣きそうだ。
それを見守る上級生たち。
 
 
すると、息子はキッと口を結び、虫カゴに手を突っ込み、さっき上級生たちからもらったトカゲを差し出した。
 
 
「大きいのはお父さんが獲ったのだからダメだからね」
 
 
「ありがとう!」
 
 
子供っていいな……と思った。
 
 
 
いじめの問題。
うちの息子に「採ってあげようぜ!」と声をあげてくれた上級生。
ああいうコが一人でもいれば、いいのだ。
一人だ、たった一人いればいいのだ。
 
 
 
それで救われる、思い、気持ち、尊厳、命がある。
そう思う。