ちょっとは誇りに思おう

以前にも書いたかもなのだが、私は Toots & the Maytals の “Funky Kingston ” が、その音はもちろん、ジャケットの醸し出すムードが大好きで、こんな音使い & こんな色合いの人生を過ごせたら本望だよな……とこのアルバムと出会ってから十数年ずっとそう思い焦がれているのである。

「ふ〜ん、で、それってどんな人生?」と賢い貴方に訊かれたら、貴方を満足させる言葉は全然出てこないのだけれども、そんなの別にイイじゃない。自分がそう思い込んでいるんだから、それでイイじゃない。

かつての自分だったら、ココでそういう疑問を投げかけてくる相手を納得させるにはどうしたらイイべかな……む〜ん……と本域で思案したもんだったが、年を幾分重ねて図々しくなったのか、今となっては「別にイイじゃない!ファファ〜ン!」と開き直れるようになった。

何がどうなってそうなったのか、コレもまた全然説明できないのだけれども、それもまたイイじゃない!

リリー・フランキーさんがインタビューで

「美大生は、美大以外の大学で得られるものとは違う、もっと美しいもの、もっと豊かなものを得るために美大へ入ったはず。そこで得られるものは社会の一般的なものさしで戦っていくには弱い刀かもしれないけど、美大生にしか持てない刀のはずなんです。だから、それにもっと誇りをもってほしいと思うんですよ……」

と言ってくれてて、なんだかしみじみしてしまった。この “しみじみ” は喜びを伴うものね。“しみじみ” にもいろいろあるのよ。

ほんわかと美大生の端くれであると密かに自分では思っている自分にとっては、とても励まされる言葉だった。

一般社会では全く歯が立たないし役に立たないし、なまくら刀かもだけど、それは持っているよな、確かに。うん、持ってる。

その刀で、自分と店を作ったのかもな。

ちょっとは誇りに思おう。

音を楽しむのである

小学一年生の息子は学校から帰るなり、タッチアンドゴーで遊びに行く。子供たちは困難に立ち向かい、ひたすら遊ぶ。スマートフォンも時計も財布も小銭すらも持たずに飛び出して行く。うらやましい。もう48だからということで、さすがにやらないが。

自分が息子と同じ小学一年生のときはどうだったろうか……だなんて記憶をほじくり返すのが楽しい。まあ、ともかくとことん遊び尽くしていたような記憶だ。宿題なんてなかった。あれ?あったかな。ないな。うん、なかった。

息子は毎日宿題を出されている。まあ、それは悪いことではないし、大した量ではないのだけれども、三年生ぐらいまで宿題はなくてもいいんじゃ?とも思う。

まだ観ている途中(今朝、観てたのだが息子が起きてきて中途で断念)なのだが、『母さんがどんなに僕を嫌いでも』という映画がとても良くて、体の隅々までしみじみ沁み渡っている。

自分でも嫌になったのが、劇中で「もしやこの人が裏切るのでは?」と疑心暗鬼になってしまうところだ。物語の途中で、信じていた人間にひどいことをされて傷つく……そんな展開のものばかり観ていたのだろうな、きっと。

残りあと三十分もないのかな。どうにかハッピーエンドでよろしく願いたい。心底願っている。

「SNS徘徊していてこの曲聞いたら自分的にてっぺーさんのお店が浮かんできたので図々しくもご連絡させていただきました!」

そんなメールがお客さんから届いた。リンクされたURLをクリックすると流れ出したのは極上のシティポップ。(自分的にはトッド・ラングレンっぽいなと)こんな素晴らしい音楽から、うちをイメージしてくれるとは……感無量が止まらない。ありがとうございます。

Sunset Rollercoaster。驚いたのは、これが台湾のアーティストだということだ。世の中には、まだまだ知らない音楽(音楽に限らずだけれども)がいっぱいあるんだな。

自分の半生を振り返ってみて、唯一真っ直ぐに真面目に向きあってきたのは音楽だなとしみじみ感じ入る今日この頃なのである。

それはコレからも継続維持していけたらなと思う。

僕の右手

何かの本に書いてあったのだが、人生を80年と考えると、零歳から二十歳までの20年間と二十歳から八十歳までの60年と云うのは、同じぐらいの濃度&密度になるそうで、なんだか妙に納得したんだったんだった。

小学1年生の息子の日々を見つめていると、その濃度たるや半端じゃないもので、日々発見、日々新鮮、日々初体験の連続なわけで、そりゃ一日も格別に長いことだろうなと容易に推察できる。

それに比べて四十路後半の床屋のオッサンのエブリデイと来たらなんなの?である。それはもう尋常じゃなくスピーディーなわけで昨日と今日の違いも曖昧になっている。

でも、それは悪いわけではなくて、むしろ心地よくあったりもするのだけれども、出来たら年相応よりは老け込みたくないぜとは思う。

そういえば、色々新しいことにチャレンジしたり、日々何かしらを探究している人って若々しかったりするよな〜と思った。

私も、掘るとか探すとか探るとか大好物で、そう云うことに夢中になっていると時が止まっているように感じるのだけれども、本当に止まっているのかも知れないな〜なんて妄想してみた。

何処かへ出かける際、行きは長く感じたのに、帰りは随分と短く感じることがある。コレは人の脳が「もう経験したよね〜」ってことを省いているかららしいぜと誰かが言っていて、コレまたふむなるほどと納得した。

年を重ねると、経験ずみなことは増えるばかり。

だから、それらはもう織り込み済みなのよね〜ルルルラララと脳が流していると云うことか。日々の過ぎ去り具合が年々どんどん増しているような気がするのはそう云うことなのか。

少年時代に過ごした日々が果てしなく長かったように感じるのもそう云うことなのだ。

なるへそ。

さてと。

今日も明日も明後日も何かを探すでしょう。

そうそう。

店内BGMをPCから流す際に使用しているスピーカーが、ちょいと物足りないのよねと妻さんに話したら「コレなんていいんじゃない?」と最高に観力的な逸品を見つけてきてくれた。

妻さんもまた、日々探究心に溢れた人で、そのピンポイントのクリティカルヒット具合には毎度毎度感心させられるのである。

やるね〜

股旅。

必要なのはアイデアと熱量

仕事用にとゲットした道具箱が良い塩梅。

カッコ良くステッカーチューンしちゃうぜと鼻息荒くしてたら、ふと四年前の移転時に当店ロゴのカッティングシートを余分に作ってたことを思い出し、ゴソゴソ取り出して、コレだよコレとビシッと貼ってみた。

インナーボイス&グルーヴに従って勢いで「ココだ!」と位置を決めたのだが、貼り終わってみると、なんだか左寄りになっちまったなと消沈。

こういう時は一度深呼吸する必要があるなと学んだ。勢いとかノリとかグルーヴとか大好物だけど、小生も今や五十路手前。そればかりじゃただの痛いオッサンなだけなのだよ。常々日々学びなのである。

お客さんからお借りした DVD BOX 『FARGO/ファーゴ』が信じられないぐらい面白過ぎて鼻血が止まらないし、窒息しそうだ。コーエン兄弟による1996年の映画『ファーゴ』に着想を得て作られたテレビドラマってことだし、勧めてくださったお客さんも相当な映画マニアなわけで、そんな方が是非観てとピンポイントでボクに狙いを定めて勧めてくれたわけだから、確実に面白いに違いないのだが、正直全十話(しかもシーズン1、2セットで全二十話)ともなると観始めることに少々躊躇いもあった。

しかしまあ、観始めてみたら、そんな思いはどこかへ霧散した。何度も言うが強烈に面白いのである。アホなことに、そのパッケージで判断してシーズン2から観てしまったのだが、今となっては、それが良かった。

シーズン2を観終わって、実際これ以上面白いことってあるの?と思っていたのだが、よくよく考えてみたらシーズン1が良かったから、シーズン2が作られるわけで、そしてシーズン1を観始めてみたら、シーズン2がかすむくらいに面白いのだから参った。スゴイ。

コーエン兄弟作品への多大なるリスペクトもちゃんとすみずみまで感じるし、かといってモノマネでは決してなくて、そこにはオリジナリティが満ちている。こういうドラマ、日本でも作ってくれませんかね。予算がどうこうってのもあるだろうけど、決め手になるのは脚本とアイデアと作り手の熱量なんじゃないかと。(その点『宮本から君へ』の映像化は最高でした。ありがとうございます。)

さてと。んじゃ、仕事します。アディオス。

それが大事

ものすごく今更なのだが『整理整頓』の重要さを痛感している。『整理整頓』さえ出来ていれば、まず人生でつまずくこともないのでは?と思えるぐらいにだ。

そういえば小学校の教室には必ずと言っていいぐらい、『整理整頓』とどこかしらに記されていた。先生たちも何かといえば『整理整頓!』と口にしていた気がする。

身近にあった言葉なはずなのに、どこか遠くにあったな。『整理整頓』さえすれば、とても店として良くなるだろうし、何より自分の気持ちが良くなる。それがわかっているのに腰が重いのはなぜだろうなぜかしら。

そういえば何かの小説でこんなことが書かれていた。

無形重要文化財的人物に弟子入りしたのだが、来る日も来る日も掃除ばかりさせられている、一年近く経つのに技術の一つもまだ教えてもらえていない……
そうぼやく青年に「それがなぜかわからんようだったらモノにはならん……」とぼやかれた人が説くなんつー話だ。

この場面が妙にしっくり自分に入ってきたのはなぜだろうなぜかしら。

なんてことをココで書いているのは、自分自身に「整理整頓しっかり心がけようぜ!」と言い聞かせるためだ。

もう一度言う。

『整理整頓』大事!

それにつけても憎いのはハエの奴らである。心地よい空気感に誘われて、入り口ドアを開けて営業していたら、一匹のハエがインザハウス。出て行ってくれよと懇願するも、どこ吹く風でブンブブンブン。しまいには、もう二匹入ってきて発狂しそうになった。

一夜明けた今も、ブンブン飛んでいやがる。いったい彼らの目的はなんなのだろうか。何をどうしたいのか問いただしたい。

ハエといえば虫なわけだが、昨日六歳半の息子がトノサマバッタを捕獲した。さすがトノサマと言うだけある。殊更、その姿は立派だ。王者の品格すら漂う。息子はカナヘビ も自分で捕まえた。これらを獲るには、知恵とアイデアと反射神経が必要だ。

この『自分で』というのが大切だと思う。虫が獲れたからって、それがなんだっちゅーんだ!と賢いあなたは言うかもだが、こういうの大事。トノサマバッタ、なかなか獲るの難しいよ。獲るのが難しいと知ることも大事。

四十八歳の床屋のおやじさんは、店内に侵入したハエをどう退治すべきか苦悶している。こんな年齢になっても知らんことばかりだ。上手く退治出来たら、その方法を息子に伝授しよう。さすれば、彼の今後の人生「ハエのやろう!」となったとき、ジタバタ慌てることもないだろうし。

話が行方不明になってきたので、そろそろ退散します。

股旅。