抗っても抗っても避けられない道

造園屋さんに芝張りをお願いしたとき

『どれだけ気をつけてても、同じところを歩いてしまうんですよ……』

と言われ、そうならないように気をつけていたつもりだったのですが、あれから二年。
見事に芝生上に通り道が出来ている。

抗っても抗っても避けられない道とは、このことか。
まさにこのことである。
なんだか芝生上に出来た道に人生を感じてしまった四十六歳の晩秋なのです。
みなさん元気ですか?
僕ら家族は元気です。
先日、テレビを観てたら、ベトナム帰還兵だった人がこんな話をしていました。

『あの狂気の戦場では、心を壊されないために全ての感情を閉ざすしかなかった。帰還してからも、それは続き、私を苦しめた。
それから数年後、「真夜中のカーボーイ」と云う映画を観に行った。
大都会の孤独に流される田舎から出てきた二人の男の生き様を描いた映画だ。
物語の終盤、ダスティン・ホフマン演じる男が死ぬのを観て、抑え込んでいた私の感情が爆発した。
激しい嗚咽とともに流れ出した涙は延々と止まらなかったんだ。
あの頃、多くのベトナム帰還兵が同じような苦しみを抱えていたと思う……』

一本の映画が人を救うことがある。
そんなの別に珍しいことじゃないぜと言い切られてしまったら身も蓋もないのですが、なんだか僕はちょっと感動したのです。
映画、マンガ、小説、詩、音楽、絵、家、街、道路、家族、etc……。
人が創り出す全てのものに、やはりそういう力はあるのだなと再認識出来て嬉しかったです。
お客さんと話をしていて、以前僕が放った言葉に影響を受けたとか、心に残っているとか言っていただくことがあります。
そんなとき、僕は「生意気を言ってしまった!」と赤面を禁じえないのですが、その責任の重さに打ち震えるとともに、喜びもあるのです。

「なんだかオレ、人と向き合っちゃってるじゃん!」

だなんて、嬉しくなっているのです。

だからですね。
適当なことは言えんな……と引き締まる思いにもなりました。
とっ散らかった話になってしまっているようで、僕の中ではキチンとつながっている話です。
抗っても抗っても避けられない道が、そこにはあるのです。
そんなわけで、それでは聴いてください。
銀杏BOYZで『東京』。
では、そろそろ仕事します。

何気ない毎日が風のように過ぎて行く

十一月ってこんなに寒かったっけ?
毎年この時季に思う。
霜も降り始めたしいよいよそろそろ秋も終わりか。

と思ったら、今日路上でオオカマキリを見つけた。
羽も傷ついているし少々弱っている様子。
そりゃそうだ。
この寒さだしエサとなる虫もいない。

でも、昆虫好きの息子のためにと迷わず確保。
ついでにエサ探しをするも、やはり見つからない。
と思ったら、カナヘビがいたので捕獲。
オオカマキリと同じ虫カゴに放り込んでしばし仕事に没頭。
小一時間経って見てみたら、やはりオオカマキリに食べられてしまっていた。
南無阿弥陀。
このところ再び 銀杏BOYZ が僕の中でキテいる。
聴いていると泣きそうになるのはなぜなんだろうか。
四年前に出た2ndアルバムは、何故か何故だか聴けずにいたのだが、今こそチャンスだなとレンタルして来た。

一聴してポカーンとした。
得てして、最初にとっつき辛いアルバムは後々グググと込み上げてくる何かがあるもの。
でも、このアルバムは今後自分に何かしらグググと来させることはないだろうな……と思っていたら大間違い。
さっきスゲー込み上げて来た。
いきなり突然やって来た。
多分今の自分のこの揺さぶられまくっている気持ちのことを『感動』って言葉で現すのだろうと思った。
四十路半ばにもなって、何故またこんな音楽で?とも思うが、四十路半ばだからこそ来た……そんな感じだ。
さてと。
Art Tatum でも聴いて寝るかな。
もし、少年時代に Art Tatum のピアノと出会っていたら凄い衝撃を受けたかも……なんてことをよく妄想する。
残念ながら、僕がArt Tatumを初めて聴いたのは結構オッサンになってからなんで、物凄くナイスなタイミングを見計らって息子に聴かせてみようと思う。
そういうことを息子にいっぱいやっちゃおうと企んでいる。
それでは股旅。

今朝ふと思ったこと

気づけば人様の髪を切らせて戴くと云うこの仕事を選んで二十数年が経ちました。
中には、自分の仕事歴と同じくらいの付き合いになるお客さんもいて嘆息が止まりません。
今の場所に移転して二年半弱ですが、果たして二年でも通い続ける店が自分にはあったか……と考えたら、自分にはないことに気づきました。

一応言っておくが、DOODLIN’ BARBER SHOP がそういう場所としてお客さんに選んでもらったんだぜ!
と鼻息荒く自慢したいわけではないです。
何年もずっと通おうと思える店があると云うのは、それは人生の宝物になるんじゃないかと。
自分の中で、髪を切るならココ、それ当たり前でしょ!となるって凄いことなんじゃないかと。
そう思うのです。

「なんでわざわざあんなところまで?」
「近くでいいんじゃない?」

DOODLIN’ BARBER SHOP に通い続けてくださっている皆さまは、多分きっと家族や友人にこう言われたことがあるのだろうな。
お客さんたちが、そういう周囲の声をどう受け止め、どうかわし、どう説得して、それでも通い続けてくれているのだろうか……
そんなことを想像しだしたら、ワクワクが止まらないのです。
そして、そんな店が生活の中にあることがとても羨ましく思います。
まあ、何が言いたいかというと、そんな店として選んでくれてありがとうございます!
そんな店にしてくれてありがとうございます!
ってことです。
そんな感謝の気持ちを込めまくって、今日も良い音楽を流し、おもしろ話に花を咲かせ、良い仕事をします。
一日でもこの仕事が長く続けられることを願って。

回りに溢れる愛があることを感じます。
ありがとう。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平

魔法使い アラヤン

先日、テレビを見てたら戦場ジャーナリストの方がこんなことを言っていた。

『戦場では、まず医者が狙われる。
医者は民衆も戦闘員も区別なく目の前で苦しんでいたら助けようとする。
だから戦闘員百人を殺すより医者一人を殺す方が効率がいいからだ……』

あまりの巨悪さ加減に震えた。
偏りまくった意味で合理的で賢い方法なのだろうけども、こんな発想が出てくることに恐怖する。

そんな中、やはり医者は裕福な方が多いから、国外に脱出してしまうらしい。
まぁ、そりゃそうだ。
それを責めることは出来ない。
でも、残る医者もいるそうだ。
残って人を助ける道を選ぶ医者もいるのだ。

一つの話の中に、許し難い人間の罪深き面と美しき志しを見た。
なんなんだろうな……
やはり、人間なんてラララだ。
そこに何かがあるのだろうか。
それは誰にもわからない……
そんな気分だ。
昨日は仕事を中抜けして地元のパラダイス“航空記念公園”に行ってきた。
『暮らすトコロマーケット』というイベントが行われてて、そこで友人の画家アラヤンがライブペインティングをすると聞き、それを見たいと思い立ったのだ。

晴天の下、アラヤンはサササと華麗に描いていた。
幾人もの人がそれを眺め微笑んでいる。
芸術のあるべき姿を垣間見たような、そんな気がした。

芸術のなんたるかなんて語れないし、そこはかとなくしか理解出来てはいないけども、やはり芸術っつーのは人を幸福にしなくちゃいかんのでは……と思う。

息子の好きな子供向け番組で『おべとも学園』というのがあるのだが、その番組に “帽子くん” と云う寡黙なのだけれども、絵がとても上手な男の子が出てくる。
彼はいろいろ様々な場面で手をサササッと動かし絵を描く。
言葉少なに手を動かすだけで、その場をパッと楽しく明るい幸福感に包まれたものにする。
そんなとても素敵な帽子くんと昨日のアラヤンが、僕の中でピタッとフィットしたんだった。

幸福の形はそれぞれだから、あれはダメこれはダメと否定するのはナンセンスだが、あれは好きこれは好きじゃないぐらいは言ってイイと思う。

真っ白のキャンバスがみるみるうちに作品に変わる。
これはある意味、魔法だなと思う。

アラヤン、キミは魔法使いだな。
それも誰かをそっと幸福にする粋な魔法使いだな……と思う。
いいぜ、かっこいいぜアラヤン。
……と思った。
それでは股旅をする。

棚が充実し始めた

移転して早いもので二年半弱。
新店舗には、そこに自分の全てが詰まっているような棚を作りたいと意気込んでいたが、ココに来て充実度がだいぶ増して来たような気がする。
レコード、本、CD、帽子、その他飾りもの。
全て、今の自分を構成するものばかりだ。
これらは髪切り稼業において、絶対必要なものたちではないのだが、これがなくては自分ではないし、DOODLIN’ BARBER SHOP にはなりえない。
そういうもののことを現す言葉って何なのだろうか。
なんかこうグッと来る言い回しがあったら教えて欲しい。
さっき、カーラジオを流しながらブロロロンと走っていると英語が堪能なDJとゲストのアメリカンが英語でペラペーラと話してて、それから「ハーッハハハハハッハー!」と実に外国人っぽく大げさに笑いあっていていて、一呼吸おいてから、DJが「今、これこれこういうことを話してたんです。ハハッハ〜!」と後付け説明してくれたのだが、全然面白くなくて白目になった。
あれ何なんだろうか。
もし私に英語力があったのなら、同じタイミングでハハハハッハッハハハッハー!と笑えたのだろうか。
こんなこと書いているが、実際は外人のああいう感じは好きだ。
でも、日本人が同じノリだったりすると、ちょっと照れくさくなる。
あれ何なんだろうか。
これがいわゆる“コンプレックス”ってやつ何なのだろうか……
BE MY BABY。
今、満を持して映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観ている。
ヒップホップ・グループ、N.W.A.の結成から脱退、再結成までを描いた伝記的映画だ。
うちのお客さんからも「面白い!」という声が多々聞かれたし、私としても興味津々な作品でもあった。
例によって、一日四十分ずつ観るという自分的にはしっくりくる鑑賞法で観ているのだが、序盤からクライマックス直前まで怒涛の面白さではある。
当作品を絶賛していたお客さんの一人が「ヒップホップや、N.W.A.を知らなくても楽しめる青春映画ですよ」と言っていたが、まさにその通りだと思った。
まあ、映画の内容はさておきだ。
N.W.A.初期のメンバーでもあったアイス・キューブを演じている役者さんが鳥肌が立つぐらい似てて、世の中にこんなに似ている人いんの?と独り驚愕していたのだが、調べてみたらアイス・キューブの実の息子さんだった。
でもね。
息子とはいえ、ココまで似るものなのかと。
遺伝子の脅威を感じざるを得ないわけである。
ともあれ、今後の『ストレイト・アウタ・コンプトン』の展開が楽しみだ。
ギャングスタ・ラップってあまり聴かなかったし、今後も聴かないつもりだったけど、少しだけ聴いてみようかしら。
う〜ん、でも聴かないかな。
店で流すのもなんかこうちょっと合わないだろうし。
さてと。
んじゃ、そろそろ庭の落ち葉拾いします。
股旅。