いろいろ思いを馳せる日々

いつの間にやら十ニ月も半ば過ぎ。

ハッとしてグッと来て、いろいろあれこれやらなきゃと頭をフル回転するのと同時にジタバタするなよ埃が立つぜと呑気さを装うとする自分もいたりして、うむやはりこれこそが師走だぜと独り頷いているナイスミドルであります。

今風に言うと“インプット” ?
なんだか貪欲に観たり聴いたり読んだりしていますが、“アウトプット”?
これがなかなか出来てない今日この頃。

『浅草キッド』のことやら『コブラ会』のことやら、グソクムズの1stアルバムのことや、スチャダラパーの『大余談』のこととか、朝ドラのこととか、いろいろペチャクチャ書きたいのですが、頭がワーっとなってて書けない。
整理がつかない。
ま、こういうときってありますよね。
うん、あるある。

ともあれ、どっぷりハマって見ていたドラマ『最愛』が、今夜最終回なわけで、犯人が誰なのか、どんな終わり方をするのか、全く予想出来ないのですが、それが気持ちいい。
出演している松下洸平さんが愛用している時計が、私と一緒だったりして、それがなんだか嬉しい。
相変わらず、実にささやかです。

さてと。
怒涛の年末を駆け抜けますかね。
ご予約もだいぶ埋まって来ております。
年内に散髪するぜ!
とお考えでしたら、ご連絡はお早めに。
年内の営業は、大晦日の午前中までにと考えております。

では股旅。

ユーモアで乗り切る

今日、幼なじみの大ちゃんがカットしに来てくれた。

仕事現場に行ったら、相手の手違いで仕事が出来ず「じゃあどうするべ……そうだ髪を切ろう!」と思い立ち、連絡をしてみたら、こっちも丁度良い時間が空いてて、見事ジャストフィットスムーズインとなったわけである。

仕事が出来なかったのは残念だけども、そのおかげでこうやって髪も切れたし結果オーライだよ!

と大ちゃんは笑う。この “気の持ちよう”って大事だよな〜と思うのである。五十歳ともなると、怒りとかイラつきってヒジョーに消耗するのよね。だから、それを心がけている人って歳を重ねるごとに穏やかに優しくなれるんじゃないかと。突き詰めれば、自分のためにそうしている、そうななって行くんじゃないかと……違うか?

“気の持ちよう” で忘れないようにしたいのがユーモアを保つこと。ユーモアがあればなんとかなる、華麗にサラッと乗り切れる……ような気がしているのだ。

その思いはここ最近増すばかりだ。確信も自信もない。だけど、なんとなく最後に “ヘヘヘ” と笑えたらさ。それで良いじゃん!ってなるような気がしている。最後に笑えるための努力は惜しんではならない。楽しむために楽はしちゃいけない。ん?なんだか禅問答みたいになってきたな。いいぞ。

でも、あまりユーモアを多用していると、時折現れるユーモアの通じない人にこっ酷く叱られるので、ユーモア使用頻度は気をつけたいところだ。

逆境でも笑えるってのは強さだよね。強さだし優しさだよね。

そんなことをぼんやり考える晩秋なのである。

股旅。

大人の教養とは

ぼんやりと鼻クソほじりながらペラペラと捲っていた雑誌に載ってた

「テクノロジーに対して、自分の中でストップをかけられるのも大人の教養だぜ」

という文言に頭をガツンと殴られた水曜日の朝です。
僕は今、先日満を持して我家に導入された Netflix にやられっぱなしでして。
これが強敵でなかなかストップをかけられずにいたのですが、前述の言葉(by 山田太一先生)で、ハッと我に返ることができました。
いつか手に入れたいものです。
大人の教養ってやつをね。

ぼんやり観ていたドラマの中でのセリフ「大仰な宣伝や小手先の仕掛けで客は来るかも知れない。でも大事な顧客にはならないんだよ。大切なのは信頼関係を築くことだ」にも、強烈なチョップを喰らいましたね。

大仰な宣伝も小手先の仕掛けもやっていないですが、これ大事だと思ったんで心のノートにメモっておきました。

なんかこうね。
ちょっとずつ見えてきた気がするんです。
五十路に突入したからですかね。
大切なことは何か、大切にすべきことは何か、なんかね、薄ぼんやりと見えて来たんですよ。
幻かもですが。

観ている映画の先、ドラマの向こう、ドキュメンタリーの裏、読んでいる本の行間にね。
キラリーンと光る何かをね。
見つけられるようになって来たような、気がしないでもないっちゅうか本中華ね。
これがアレですか。
年の功ってヤツなんですか。

ともあれ、GONTITI でも聴いて気を鎮めましょうかね。

では股旅。

中古レコード屋のバラード

日頃お世話になりまくっている中古レコード屋は、自分が最も興奮する場所の一つなのですが、つい先日「いや待てよ……そうか!」と ふと気づいたことがあるのです。

「しめしめ、こんな名盤がこんな値段で!オレラッキー!」

だなんて小躍りしてみたが、よくよく考えてみれば、この傑作を手放した人が存在するわけでして……

それはつまり殆どの場合ポジティブな動機ではないんですよね。
お金のためだったり、引っ越しだったり、泣く泣く手放さなくてはならない状況だったり、持ち主が亡くなってしまったってこともあるでしょうしね。

でもですね。
僕が寂しいなと思うのは、「うん、これもう聴かないし、いらないや!」って展開というか場合と言いますかね。
見限るというか、卒業と言いますかね。

「この音楽はもう自分には必要ないんだ」

って理由で手放す。
しかもそれが青春の象徴のような音楽(僕の中では完全にパンクロックですが)だとね。
なんだか無性に悲しいなってね。
思ったんです。

それが、THE BLUE HEARTS だったり、銀杏BOYZ とか、グリーン・デイ とか、今までもこれからもずっと自分が好んで聴き続けてきたものが中古屋にズラッと並んでて、しかもそれが悲しいくらい安かったりすると余計にね「あ〜これを売った人の中では終わってしまったんだな〜。しかもそんな人がいっぱいいるんだな〜」ってね。
ちょっと胸に冷たい風がピューッと吹き抜けるんです。

ま、安くてありがたいって思いもあるんで、オアイコですが。

しょうもない話でごめんなさい。
秋が深まって来ましたね。
店のモミジシシガシラも紅葉し始めました。

それでは股旅。

日々学びである

昨日、妻さんに誘われて、とある画家の個展に行って来たんです。

やはりね。
実物、本物に触れるって大事ですね。
あれですよ。
まさに “写真には写らない美しさ” ってヤツの存在をビッシビシ感じましたもの。

朧げながら、きっと “芸術” ってこういうことなんだろうな……ってね。
分かったような気になっています。
あくまで “私の中での芸術” なんですけどもね。

この絵がね。
いつも目につく場所にあったらね。
大袈裟な物言いになりますが“魂の救い”、そういうものになり得るんだろうなって思えたんです。
見るだけで和む、癒される、落ち着く。
あ〜そういう心の機微のことを多分きっと芸術って言うんだろうなってね。
ちょっとわかった気になっているんです。
イイ気分ですよ。
調子に乗っちゃいますよ。

で、その画家先生がですね。
こんなことを言っているんです。

『父の思い出でずっと話したかったのが、小学校の低学年の頃、どんなに家が困窮していても絵の具を買ってくれたんです。

それもいい絵の具、普通は12色なんだけど、紫色が入っている24色とか倍くらいの絵の具を買ってくれた。

なんでもいいから、ちょっとでも人と違うものを与えられた時に勇気と自信がつく。

自分はその辺のもので絵を描いたり作ったりしてますが、ここぞという時にはその “紫色” のことが頭にあって、人よりも半歩でも一歩でも、この色で出せるものはなんだろうと……』

これは響きましたね。
とても大切なことだなと思ったんで、私の心のノートにメモっておきましたよ。
私も、息子に本と画材だけは惜しみなく与えよう……って決めていたんで、それを肯定してくれたような気がしましてね。
なんだか嬉しかったんです。

決して負けない強い力を一つだけ持つ……

それが思い込みでも、良いんです。
バカにされても、良いんです。
少々痛々しくても、良いんです。

なんか、そういう幼少期のちょっとだけ背中を押してくれたような、そっと後ろから支えてくれたようなことが、行き詰まったときなんかに、サーッと空から降りてきて救ってくれる……一歩踏み出す勇気をくれる……
そんなことがあるよな〜ってね。
音楽聴いてるときにも、時々そういう瞬間があるよな〜ってね。

上手く説明出来なくてごめんなさい。

そして、この機会を与えてくれた妻さんに感謝感謝です。