運命なんて便利なものでぼんやりさせて

我が家にインフルエンザの猛威が襲いかかった。息子が新鮮なのを学校からテイクアウトしてきたのだ。

幸い私は感染しなかったのだが、妻さんがやられた。またしても痛感したが、妻さんがこうなるともう我が家は機能停止に陥る。妻は高熱に冒された身体に鞭打ち、必要最低限のことをどうにかこなし、そしてまたバタンキュー。これを繰り返し、どうにか生活を維持してくれた。ハンパじゃなく辛く苦しく大変だったと思う。感謝の言葉しかない。どうもありがとう。

息子は今日、一週間ぶりの学校。と言っても明日には終業式なのだが、今日はクリスマス会らしく、カラダの端端から嬉しくて楽しみでしょうがないオーラをムンムン大放出させながら家を飛び出して行った。
♪ないかな〜ないよな〜きっとね〜♪
出かける間際に息子が口ずさんでいたのは、フジファブリックの『若者のすべて』だった。それがなんだか良かった。もしかしたら、息子の今年の「心のベストテン」第一位なのかな。

じゃあ、自分の今年の一曲は何かな。ちょっと考えてみて、ふと浮かんだのが SPECIAL OTHERS の “Laurentech” だったのだが、十一年も前の曲だし、なんだかカッコつけている感じがするので却下。でも、この曲好きなのよね。人生のBGMにしたい的な。他にも人生のBGMにしたい感じだと、toe とか rei harakami とかが出てくるんだけどシャレオツ過ぎて、そんなのばかり選んじゃう自分が痛くてイヤになる。

今日は一応今年最後の定休日。明日から大晦日まで休みなしでガムバリます。ご予約も結構埋まって来ておりますので、来店タイミング予想が固まりましたらご連絡ください。新年は五日からの営業を予定しおりますが、こちらもお早めに。

要は気の持ちよう

みうらじゅん先輩が提唱している『老いるショック』とか『不安タスティック』とかね、ホント素晴らしいなと思う今日この頃なんです。

とかく、ネガティブにとらえがちな事象をそういう言葉を通過させることによって濾過させちゃうっつー人生の極意だなと。

息子の小学校の運動会で、体育館のトイレに行ったんですね。
で、私が用を足している間にキッズたちが次々と用を足し終えて元気に飛び出して行くのです。
三人に抜かれるかってところで、ようやく私も出し切ったわけですが、こんなとき自分の老いに落ち込んでしまいがちじゃないですか。

でも、次々とキッズたちに抜かれて行くときに「チッチッチッチッチッ!」とカウントし、見事コンプリートしたときに「老〜いるショック!!」と心内でシャウトすればね、そんな衰えも前向きに捉えられるんじゃないかっつーね。
凄くないですか?

「不安な気持ち」にもね、後に「タスティック」をつけてしまえば、なんだかカジュアルな感じなって「まだまだ行けるぜ!」って気持ちを変換出来るわけです。
最早、魔法ですよ。

で、この言葉のチョイスがまた絶妙でね。
「老いるショック」「不安タスティック」や「後ろメタファー」もそうだし「比較三原則」もそう。
知性をチラリと覗かせ、かつユーモラスでね。
感心しまくってしまうわけですよ。

それでね。
こんな風に説明してしまう自分の野暮さがまた情け無くてね。
もうその時点で、全然到達出来ない領域ってのを痛感させられて、極々軽く落ち込んだりしてるわけです。
ヒマなときに。

話は変わりますが、でも繋がっている話です。
十年くらい前ですかね。
兄ね「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を観ろ!素晴らしいから!と熱く言われ、すぐにレンタルして観たのですが、さっぱりわからなくて、なんだかな〜ってなったことがあったのですが、今ならきっとその良さがわかるんじゃないかと自信を深めているのです。

何しろ近頃「クレヨンしんちゃん」が面白い。
あのずっと馴染めなかった絵柄も今やシックリ来まくっているしね。
人は変わるもんですな。

はてさて、これからどんな老いるショックが待っていることやら。
きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待っているんですな。

股旅。

制限されることでアイデアと工夫が生まれて質と熱が増す

今朝ぼんやり読んでいた漫画のセリフ


『制限されることでアイデアと工夫が生まれて質と熱が増す』

これにはハッとしてグッと来た。
自分としても、この場所で店をやると決めたこともしかり。男性客に特化したこともそう。十五年前、屋号に “BARBER SHOP” と入れたこともそうなのだろう。

自ら制限したことで、創意工夫をしなくてはならなくなった。でも、それは大変だとか苦しいとかではなく、むしろ楽しくて興奮するものだった。全部狙い通り、思惑通り、計画通りだったんだぜ!と言えたらカッコイイのだが、たまたまの流れに身を委ねただけってところが実際のところだろう。

振り向けばそうだった。いつの間にやら後ろに道が出来てたって感じか。そこに確かにあったのは “ノリ” だ。カッコよく言えば “リズム” だ。なんとなくそうなった。そこが面白い。

昨夜のレコード選曲も同じくだ。レコードでしか選曲しないという自ら課した制限に燃えて来るしノッて来る。三時間遊べと言われるより三十分遊べと言われた方が楽しめる。私はそういうタイプのようだ。

漫画から刺激を受けることが多い。今朝は他にも
“自分はバカだと言ってると 本当にバカになるぞ”
このセリフにもヤラれた。

さてと。開店時間まで『カラマーゾフの兄弟』でも読むとしよう。

股旅。

夢見る床屋じゃいられない

不意にカーラジオから「夢見る少女じゃいられない」が流れてきたのがキッカケで、ふと二十年ほど前、絵描きの友人と今は無き場末のロックバーで酔いどれながら
「もう後戻りできないな 腹をくくらなきゃな」
なんて遠い目をしながらグラスを傾け、イースタンユースの『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』を爆音で聴いていたことを思い出したんだった。

三十歳を目前にしての焦りやら期待やら不安やらがいろいろ混じり合う中、お互いに鼓舞し合っていたんだろう。なかなかの痛々しさだが愛おしいぜ。

あれから二十年経ち、いつの間にやら五十歳手前になった今は「(三十歳前なんて)まだまだ全然後戻りできるし!間に合うし!」

そうシャウトするよ。

しかしまあ「夢見る少女じゃいられない」ってスゴいタイトルだったんだなと今更ながら感慨。カラオケでも、あのクライマックスのあのフレーズの瞬間にみんなで爆発したのだろう。凄まじいな。でもイイぞ。

なんとなく「夢見るオッサンじゃいられない」だとか「夢見る床屋じゃいられない」だとか当てはめてみて、一人ほくそ笑んでいる。

♪夢見る床屋じゃいられない♪

可笑しくて微笑ましい。

今の自分は、どんな夢を見たらイイのだろうか。出来たら、ささやかなのがイイ。

妻には涙を見せないで子供に愚痴をきかせずに
目立たぬようにはしゃがぬように似合わぬことは無理をせず
不器用だけれどしらけずに純粋だけど野暮じゃなく
ねたまぬようにあせらぬように
飾った世界に流されず人の心を見つめつづける

そんな床屋になりたい

それが夢かな。

なんつって。

音楽を友に 音楽と共に

振り返ってみればですね。もう随分と長いこと、子供の頃からずっと音楽が好きだよなオレ……と思ったのです。

それで、その音楽に対する想いがね、ずっと衰えてないんですよね。ピーンと張りっぱなしな感じで。


なんかそれがね。自分史的に、とんでもなく大きいことのような気がしましてね。だって、他にそういう物事がないんですもの。ずーっと変わらず熱中している物事が音楽以外にないんですよ。映画も本も好きですけど、それらはちょいちょいサボっているんですよね。

でも、音楽はサボったことないんですよ。

これホントに。胸を張って言えますけど。

ココでね、阿呆みたいにポジティブに考えてみると、そういうものを見つけられたってとても幸福なんじゃないかと。誰かと比べてどうとかじゃないんですよ。

かつては、手前勝手にコンプレックス抱いちゃったりしてましたが、もう今となってはね。ワッハッハだなと。

音楽がずーっと好きでワッハッハッハだなと。

欲を言えば、もう一個ぐらい見つけたいんですよね。家族ってのもアリですが、それは当たり前じゃないかと。
だからね。もう一個何かないですかね。今からでも間に合う何か。


それを探す余生になりそうです。