大丈夫。世界は、まだ美しい。

学校に行く直前になると「行きたくないな……」とむずかる息子。

はてさてどうしたらいいかと思案していたら、妻さんが「今日は図工があるじゃない!」と一言。
そしたら、みるみる息子の表情が曇り空から天晴れに。
「楽しみ〜」
だなんてゴキゲンで出て行ったから驚いた。
そうなのだ。
学校行けば楽しいことがあるんだぜ〜ということをイメージさせなくてはなのだ。
そんなことをチチンプイプイとやってのける妻さんスゴイぞ。
おまけに、息子が育てている朝顔たちが見事に花咲いていて、それも息子のゴキゲンに拍車をかけてくれた。
コレであいつはさらにルンルンだ。
小学一年生の思考はいたってシンプル。
シンプルゆえに難しく感じてしまうのは、自分がオッサンになってしまったからだろう。
何しろいちいち面倒くさく考えてしまうのは中年の悪い傾向だ。
そんなとき子供のシンプルさ加減には瞠目させられる。
時には感動的ですらある。
本当は、ほとんどのことがシンプルな思考と行動を持ってすればクリアできることなのだろう。
それを一度忘れてしまって、おっとそうだったなと原点に立ち返ることにきっと意味があるのだと思う。
最初から最後まで何の迷いもなくシンプル街道を突っ走っていたら、それは多分きっとアホウだろう。
学生時代の後輩が主催する Groovetube FES を紹介している記事を読んでいたら「NOT WONK」という若手バンドの動画がリンクされていて、何気なく聴いてみたらそれはもう驚いたんだった。
何だこれは!
まさに度肝を抜かれたとはこのことだった。
北海道苫小牧出身の3ピースバンドで、メンバー全員まだ二十代半ばだそう。
こんなに若いのに何がどうなったらこんな音を紡げるようになって行くのだろうか。
大丈夫。
世界は、まだ美しい。
そう思った。

いつか見上げた空に

 

今日は朝から裏庭の草刈りと洒落込んでみた。
ちょいと油断すると彼奴らはグイグイ伸びまくりなもんだから、それはもう一苦労。
一時間ほど作業して小休止していると、妻さんが三ツ矢サイダーを差し入れてくれた。
この世のものとは思えないぐらい美味しかった。
飲み干して、芝生に寝転んで青空を見上げてみたら、どこからか Original Love の “いつか見上げた空に” が聴こえてきた。
懐かしく優しいメロディー。
風が吹き抜ける。
気持ち良かった。
この瞬間を切り取って表現したいと思い、それを見たり聞いた他の誰かに、その切り取られた瞬間に近いものを感じさせられる人のことをきっと芸術家と言うのだろうな……だなんてぼんやり考えた。
 
昨夜は家族で花火をやった。
昨年にはまだ手に持つことすら出来なかった息子がキャッキャと楽しんでいた。
いろいろ様々、いつの間にやら変化しているものである。
 
先日、音楽好きのお客さんと話をしていて “ハイハイハイ!それそれそれ!” と激しく同意したこと。
それは聴く音楽の幅を広げてくれたのは映画のサントラだったよねって話。
 
思えば二十代前半の頃、池袋wave や新宿のVirgin Megastores の映画音楽コーナーで見つけたオリジナルサウンドラックを聴きまくったものだった。
好きになった映画の音楽は必ず良かったし、いい音楽を使っている映画を好きになった。
良いなぁと感じた曲が、知らないアーティストのものだったら、そのアーティストのアルバムを聴いたり、知らないジャンルのものだったら、そこを突破口に新しいジャンルに飛び込んでみたりした。
そうこうしているうちに、いつの間にやら底力がついていたって感じなのかな。
映画が面白ければ原作を読んだし、そこから歴史に興味を持ったりもしたし、ある意味 “映画” が教科書代わりだったのかもしんまい。
あ、漫画も教科書代わりだったな。
 
今日は朝から良い汗かいた。
よしよし。

夏のぬけがら

キャンプに行ってきた。
と言っても、ハードなものではなく、トイレシャワーエアコン付きのトレーラーハウスに泊まるというイージーモード。
妻さんと息子を連れてとなると、コレがベスト。
のんびり気ままに良い時間を過ごせた。
 
トレーラーハウスに泊まるのは憧れだった。
その憧れの根源はラッセ・ハルストレム監督の『ギルバートグレイプ』かも知れない。
あの映画を観た二十数年前から、ずっと憧れていたのかも知れない。
素敵なキャンプ場を見つけてくれた妻さんに感謝しなくては。
こういう場所や素敵なものを見つける彼女の感覚の鋭敏さには、いつも驚かされる。
息子もとても楽しんでいたし喜んでいた。
また行こう。
また行きたい。
 
そういえば昨夜、同じくラッセ・ハルストレムが監督した『僕のワンダフル・ライフ』という映画を観た。
五十年間で三度生まれ変わり、最愛の飼い主と再会する犬の話。
そんなバカなというのは簡単。
こういうファンタジーを「もしかしたらあるかもね〜いやあるよ!絶対あるってば!」と思える気持ちを持ち続けたいもんだ。
 
僕らがキャンプに行っている間、独りで留守番をしていた愛猫 すなすけ の帰宅後の妻さんへの甘えっぷりを見ていると、そう思わせるものを猫や犬は持っているなと感じる。
彼らのあのまっすぐな気持ちに胸を打たれるし、胸が熱くなるのである。
 
トレーラーハウスのポーチに干された息子の水遊び後の水着やTシャツを見てたら、夏の終わりを感じた。
多分この気持ちのこの感じを “もののあはれ” というのだろうと思った。
真島昌利先輩の『夏のぬけがら』が聴きたくなった。
私が高校三年のときから三十年、毎夏毎に聴きまくっている名作傑作アルバムだ。
 
でもこの日記を書きながら聴いているのは、cero の “Summer Soul” 。ああ気持ち良し。
この曲のPVに出てくる NISSAN ラシーン が素敵なのよね。
こういう物語を感じさせてくれるクルマが好きだ。
 
それでは股旅。

たまにはこんな話を

店で流している音楽の話であります。

中には「そりゃないぜセニョール!」とその選曲が心外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、コレでもお客さん一人一人に合わせて選曲しているつもりなのです。
なので「ん?コレは私への何かしらのメッセージなのかい?床屋のおやじさんよ……」なんて余計な深読みをしていただけたらコレ幸いであります。
私がまだ駆け出しのぺーペーのアッチョンブリケの頃。
師匠が書いたお客さんそれぞれのカルテには、そのかたの音楽的嗜好まで細かく記されてあったので、よっしゃその通りの音楽を流せばヨカですね!と鼻息荒く「エリック・クラプトン好き」と記されていたら、そのまんまクラプトンを選んでいたのである。
そうしたら師匠にこう言われたのです。
「いやいや、クラプトンが好きな人は自分の時間の中でいっぱいクラプトンを聴いているからさ。
『髪を切りながら聴くクラプトンもイイね〜』と思ってくれるのは最初だけなんだよ。
僕たちは、そんなクラプトン好きな方が「いいね!」と感じてくれるような、そんな音を提供しなくちゃ。」
この言葉は響きましたね。
それから意識を変えて、店内BGMを選ぶようにしました。
でも、コレが難しい。
そこに正解はないのです。
この前は、コレで良かったからって、今回もコレでOKというわけにはいかない。
全ては「流れ」なんですね。
その「流れ」を作るのか、その「流れ」に乗るのか。
その場にいる皆が心地良くなれるような選曲を目指しました。
たかが音楽、されど音楽。
床屋の仕事に関係ないっちゃ〜ないけども、コレでも私は、そこにかなり心血注いでいるのです。
能書きタラタラ、どうもすみません。
さてと、どうやら酷暑もひと段落したみたいだし、腹から声出して行きましょうかね。
アッチョンブリケ。

Slow Days

ぶらりと狭山市立博物館で開催されている「ざんねんな昆虫展」を観てきた。

なんとも、こじんまりとした展示ではあったが、それがまた良い塩梅だった。
このぐらい小規模な方が子連れには気楽である。
麦わら帽と虫採り網を身につけてという、コレまたなんとも脱力な撮影スポットがあって、息子の写真を撮ったのだが、その息子の姿を見てたらプレステの「ぼくのなつやすみ」というゲームを思い出した。
息子は今、まさに「ぼくのなつやすみ」の真っ最中。
こんなおっさんになると、一日一日が過ぎるのが早くて早くてしょうがないのだが、小学一年生の息子にとっては、きっとそれは五、六倍の長さに感じるのではないだろうかと勝手に推測する。
毎日毎日が濃厚濃密、大人からすればほんの些細な出来事でも、息子にとってはきっと大事件なのだろう。
ちょっとしたお出かけでも、息子にとっては大冒険なのかもしんまい。
何かの映画かドラマか小説かなんかで、人生が八十歳までとしたら、二十歳までと、それからの六十年が同等の色濃さなのだと誰かが言ってて、ホントそうかもしれないぜと膝を叩きまくったことを思い出した。
二十歳から二十八年が経過したが、二十歳までの二十年間の半分どころか四分の一ほどしか時間経過を体感していないかもしれない
息子がやって来てくれたおかげで、だいぶかなり色濃い日々になってはいる。
そんなことを書いていたら、どこからかフィッシュマンズの「Slow Days」が幻聴のように聴こえて来た。
♪長い 長い 夏休みは 終わりそうで 終わらないんだ……♪
と佐藤伸治さんが歌っている。
そうだな。
夏休みってそんな感じだったな。
でも、コレも小学校の夏休みまで。
部活を始めた中学生からの夏休みは、まるで別物になってしまった。
そういう感覚をずっと持ち続けた佐藤伸治さんは、やはり表現者たる人だったのだろうと思う。
話がとんと外れてしまった。
ともあれ、息子の夏休みが早く終わってくんないかなと思う。
その反面、こんなに一緒に遊んでくれる夏休みも残りは数えるほどなのではと考えると、もうちょいグイグイ遊ばないとなとも思う。
まあ、ともかくエネルギーの塊なもんだから、受け止める方も大変である。
子育てはピッチャーじゃなくてキャッチャーなんだぜ……
時々、自分にそう言い聞かせて白目をむきそうな瞬間を乗り切っているよ。
股旅。