何をどう大切にするか、それが大事。

一昨日、十一月三日はレコードの日でした。
それはもう垂涎もののレコードが、これでもかってぐらい発売されるのでテンションダダ上がりなわけですが、もちのろんで全て手に入れるなんて夢のまた夢なのです。

 

 

「何か欲しいものある?」

 

 

と訊かれて出てくるのはレコードと本ばかりな私ですが、道端で助けた浮浪者が実は大富豪だったりして「じゃあ百万円差し上げるからレコードを買いなさいな」と言われても、多分レコードも本も買わなそうです。
なんでそうかというと、そうなると私はきっと大切にしないと思うのです。
大切に聴く。
大事に聴く。
これって重要なんですよ。

 

 

レコードそのものを戴いたときは、ちゃんと大切にしますよ。
けど、お金を戴いて自分で選んで買ったら、そうならない。
こんな気持ち、きっとわかっていただけることでせう。

 

 

昨夜、五歳七ヶ月になる息子に「俺がお父さんにレコード買ってあげるよ。五十円ぐらい?」と言われたのです。笑
それはもう絶対に大切にしますね。
五十円で買えるレコードを探しまくって厳選して。

 

 

私がレコードと本が大好きで、いつもとても欲しがっているというのが息子にバレているのが嬉しい。
それもまた父の背中の一部分だと思うのです。
息子よ、実はその二つにプラモデルも加わるのだ。
一緒におもちゃ屋に行ったときにいつもプラモデルコーナーで立ち止まる父の姿を何度も見ているはずだ。
そのときの私の目は、キミが恐竜のおもちゃを見ているときと同じ輝きを抱いているはずだよ。
よく見といておくれ。

それはきっと宝もの

息子画伯の描く恐竜(or ゴジラ)のクオリティが日に日にアップしているのを感じる。
今朝は切り抜いて立たせようとしていた。
2Dから3Dへとは大きな進化だ。
そしてその発想の自由さに感嘆すると同時に羨ましくもなる。
ついつい口を挟みたくなるのだが、自分の発した言葉のあまりのつまらなさにガックリ来る。
でも口を挟む。
息子に多少煙たがられようとも大いに挟む。
これでイイのだ。

 

 

『野の春: 流転の海 第九部』(宮本輝著)が届いた。
三十七年前に執筆を開始した『流転の海』もとうとうこれで完結。
僕が流転の海(第一部)を初めて読んだのは高校生の頃。
なので、このシリーズとは三十余年の付き合いになるのだが、正直最後まで書けぬまま終わるんじゃないかと思ったときもあったから嬉しい。
今後の人生で三十年以上付き合う現在進行形の小説はきっと現れないだろう。
そういう作家も現れないと思う。
だから勝手に僕はこの完結をものすごく尊いものとして受け止めている。

 

 

宮本輝先生の描く世界観とその文体は、僕に「いつか物書きになってみたいな〜」という今思い返せば甚だ恥ずかしい夢をもたせてくれた。
そして先生の文章によって「いやいや、こんなの絶対書けませんって!」と諦めさせられもした。
これだけのことを書くからには何かを失わずには無理。
そしてそもそも、失う何かすら持ってない自分なんてしょうもないウツボ野郎。
こう結論づけるのに多少時間がかかってしまったが、気づけたんで良しとする。

 

 

ちょいと読み始めるのがもったいないので、リハ気分で『田園発 港行き自転車』(宮本輝著)を読んでいるのだが、これまた面白くて困る。
なんてことない展開なのだが、ここまで惹きつけられるのはなぜだろうなぜかしら。
正直、生意気ながらも「ん?」って感じる箇所はある。
それはきっと僕が年を重ねたからだろう。
意地悪な目線で読んでしまう己がいるのだ。
宮本輝先生の若かりし頃の傑作を読んだときのような興奮はない。
でも、それもまた良しなのだ。
これもまた長く付き合えた作家さんだから、そう感じるのだ。

 

 

我が人生において、こういう作家さんと出会えたことは宝だ。
初めに宮本輝作品を薦めてくれた兄に感謝しなくては。
そして妻さんと同居を始めたときに、妻が実家から持ってきた本の中に『青が散る』(宮本輝著)があったときの驚きと喜び、これもまた僕の人生の宝になった。

 

 

それではそろそろ。

そんなぼくなのさ

本日。
開店前にブロロロンと実家までクルマを走らせ、御歳八十四になるマイファーザーの髪を切って参りました。

 

 

切り終わった後に父の写真を撮るのが恒例なのですが、今回は一緒に撮ってみました。
顔交換アプリを使って父と私の顔を入れ替えてゲラゲラ笑おうって寸法で撮ったのですが、母が思いの外いい写真を撮ってくれたので図らずもなんだか良い記念になりました。
思い返してみても、父と二人で写真を撮った記憶があまりないですしね。

 

 

顔交換アプリを使った画像はそれはそれは面白くて、久しぶりに父が声をあげて笑うのを見ましたよ。
その写真は父と私の名誉のためにアップはしませんが、これもまた良い記念になりましたかね。

 

 

こんな笑いを生み出してくれるテクノロジーなら大歓迎です。

 

 

子供の頃、大きく大きく感じた父の姿。
それがもう小さくなっちゃってもう、ブルーズを聴かずにはいられませんよ。
そういえば、父は結構忌野清志郎の歌声が好きでした。

 

 

私が二浪してた1992年。
『Memphis』ってソロアルバムが発売されまして、さりげなく「これ欲しいんだよな〜」とねだってみたら、出かけついでに買ってきてくれたんですよ。
なんの予告もなしに。
あれは驚いたし嬉しかったなぁ。

 

 

このアルバムに収録されている “世間知らず” って曲がまた名曲でしてね。
二浪の身の私には響いちゃって沁みちゃって、身につまされる思いっつーのはああいう感じなんでしょうね。

 

 

だってこんな歌詞なんですよ。

 

 

♪苦労なんか知らない 恐いものもない
あんまり大事なものもない そんなぼくなのさ

世間知らずと笑われ 君は若いよとあしらわれ
だけど今も夢を見てる そんなぼくなのさ

部屋の中で 今はもう慣れた
一人きりで ボンヤリ外をながめてるだけ

世間知らずと笑われ 礼儀知らずとつまはじき
今さら外には出たくない 誰かがむかえに来ても

部屋の中で 今はもう慣れた
一人きりで ボンヤリ外をながめてるだけ

苦労なんか知らない 恐いものもない
世間知らず 何も知らず
夢をまだ見てる
そんなぼくなのさ
そんなぼくなのさ♪

 

 

ホント、そんな僕なんです。

 

 

それでは股旅。

絶妙なバランスを追い求めて日々奮闘

仕事着にと用意したセントジェームスの OUESSANT がすこぶる良い。
着心地はもちろんなのだが、着ている感じがなんだか良いのだ。
着ている自分がなんだか「好き!」って感じる感じだと言えば良い感じだろうか。
仕事用ってことで、その上から羽織るのはもちろん中村商店のエプロンなのである。
これと組みわせることを意識したことは言うまでもない。
何事もトータルバランスなのである。
単独で光り輝くっつーのも限りなく魅力的なのではあるが、四十路半ば過ぎともなると何かしらと組み合わせることで隠れていた良いものが浮き上がってくるっつーのに心くすぐられるのである。

 

 

などと偉そうに書いてみたが、自分自身がアンバランスの極致にいるってことは百も承知のつもりなので御勘弁願いたい。

 

 

バランスと言えば、今話題のドラマ『下町ロケット ゴースト』なのである。
アンバランスと見せかけて、実は絶妙にバランスが取れてしまっているキャスティングが面白い。
担当の人は大いに盛り上がりながらキャスティングしたことだろう。
面白そうな仕事だ。

 

 

私の仕事も常日頃から絶妙なバランスを求めているものかもしれない。
スタイルはもちろん、会話だとかテンションだとか選曲だとか諸々絶妙なバランスを追い求めて日々奮闘しているようだもの。

 

 

そんなこんなで日々過ごして生活していたら、いつの間にか時が経ち、良い塩梅で老成していきたいものだ。
生き様も死に際も何もかも絶妙なバランスを追い求めて。

 

 

振り返れば「うむ!ナイスバランス!」と笑いたいものだ。

 

 

そんなわけで、絶妙なバランス感覚でニール・ヤングの “Harvest” を聴くとしよう。
もちろん、アナログ盤で。
レコードの何が良いかって、多分きっとバランスなのだと思う。

 

 

良いものは全てバランスがとれている。
悪いものは全てバランスがとれていない。
究極、これでいいと思う。

 

 

 

これでいいのだ。

ちょっと大変ぐらいがちょうどいい

空き時間に芝刈りをした。
これが意外と重労働で汗をかく。
手もグローブなしだとマメが出来る。
フォレスト・ガンプみたいに芝刈りマシーンにまたがってササっとやってしまえれば楽だが、こういうことはあまり楽じゃない方がいい。
ちょっと大変ぐらいがちょうどいい。

 

 

週刊モーニングを読み始めて三十年近くになる。
唯一欠かさず読み続けている漫画雑誌だ。
毎号読んでいると「ぬ?あの漫画は?」となることがある。
いつの間にやら連載が終了しているのだ。
これといって人気がないわけではなく、それなりに単行本も出ているのに、なんの予告もなく、まるで最初からなかったかのごとく終わっているのだ。

 

あれってなんなんだろ……

 

不思議でちょっと不気味だったりもする。
まあ別に気にしないでも暮らしていけるんだけど、なんとなくいつも心の片隅にある……みたいな話だ。

 

 

先日、裏庭のオリーブの立て直し&剪定をしていただいたときに、息子が造園屋さんにもらった芋虫。
息子はそれを大事に虫かごに入れて観察しているのだが、これがもうこの世のものとは思えないぐらい巨大で不気味で失神しそうになる。
ムシャムシャと息子が虫かごに一緒に入れたオリーブの葉を食べていたのだが、数日前いきなりピタリと動きが止まった。

 

 

と見せかけて、よく見ると何やらウニョウニョと表面が動いていたのだが、それも終わり、巨大だったボディも半分ぐらいに縮んでひたすらジッとしている。

 

 

これは果たして、お亡くなりになられたのだろうか……
それとも蛹になる準備に入ったのだろうか……

 

 

私はもう捨ててしまいたくてしょうがないのだが、息子がそれを激しく拒む。
これは進化の過程なんだ、もうすぐ第三形態になって出てくるんだ!
と息子が言う。
シンゴジラの見過ぎである。

 

 

そんなわけで強制的に静観させられているのだが、正直しんどい。笑

 

 

息子が飼っていたカブトムシは先日最後の一匹が昇天なされた。
ノコギリクワガタもほとんどご臨終なされた。
残るはコクワガタだけ。
秋も深まってきたのだなと昆虫から感じる趣。
いとをかし。