今朝ふと思ったこと

気づけば人様の髪を切らせて戴くと云うこの仕事を選んで二十数年が経ちました。
中には、自分の仕事歴と同じくらいの付き合いになるお客さんもいて嘆息が止まりません。
今の場所に移転して二年半弱ですが、果たして二年でも通い続ける店が自分にはあったか……と考えたら、自分にはないことに気づきました。

一応言っておくが、DOODLIN’ BARBER SHOP がそういう場所としてお客さんに選んでもらったんだぜ!
と鼻息荒く自慢したいわけではないです。
何年もずっと通おうと思える店があると云うのは、それは人生の宝物になるんじゃないかと。
自分の中で、髪を切るならココ、それ当たり前でしょ!となるって凄いことなんじゃないかと。
そう思うのです。

「なんでわざわざあんなところまで?」
「近くでいいんじゃない?」

DOODLIN’ BARBER SHOP に通い続けてくださっている皆さまは、多分きっと家族や友人にこう言われたことがあるのだろうな。
お客さんたちが、そういう周囲の声をどう受け止め、どうかわし、どう説得して、それでも通い続けてくれているのだろうか……
そんなことを想像しだしたら、ワクワクが止まらないのです。
そして、そんな店が生活の中にあることがとても羨ましく思います。
まあ、何が言いたいかというと、そんな店として選んでくれてありがとうございます!
そんな店にしてくれてありがとうございます!
ってことです。
そんな感謝の気持ちを込めまくって、今日も良い音楽を流し、おもしろ話に花を咲かせ、良い仕事をします。
一日でもこの仕事が長く続けられることを願って。

回りに溢れる愛があることを感じます。
ありがとう。

DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平

魔法使い アラヤン

先日、テレビを見てたら戦場ジャーナリストの方がこんなことを言っていた。

『戦場では、まず医者が狙われる。
医者は民衆も戦闘員も区別なく目の前で苦しんでいたら助けようとする。
だから戦闘員百人を殺すより医者一人を殺す方が効率がいいからだ……』

あまりの巨悪さ加減に震えた。
偏りまくった意味で合理的で賢い方法なのだろうけども、こんな発想が出てくることに恐怖する。

そんな中、やはり医者は裕福な方が多いから、国外に脱出してしまうらしい。
まぁ、そりゃそうだ。
それを責めることは出来ない。
でも、残る医者もいるそうだ。
残って人を助ける道を選ぶ医者もいるのだ。

一つの話の中に、許し難い人間の罪深き面と美しき志しを見た。
なんなんだろうな……
やはり、人間なんてラララだ。
そこに何かがあるのだろうか。
それは誰にもわからない……
そんな気分だ。
昨日は仕事を中抜けして地元のパラダイス“航空記念公園”に行ってきた。
『暮らすトコロマーケット』というイベントが行われてて、そこで友人の画家アラヤンがライブペインティングをすると聞き、それを見たいと思い立ったのだ。

晴天の下、アラヤンはサササと華麗に描いていた。
幾人もの人がそれを眺め微笑んでいる。
芸術のあるべき姿を垣間見たような、そんな気がした。

芸術のなんたるかなんて語れないし、そこはかとなくしか理解出来てはいないけども、やはり芸術っつーのは人を幸福にしなくちゃいかんのでは……と思う。

息子の好きな子供向け番組で『おべとも学園』というのがあるのだが、その番組に “帽子くん” と云う寡黙なのだけれども、絵がとても上手な男の子が出てくる。
彼はいろいろ様々な場面で手をサササッと動かし絵を描く。
言葉少なに手を動かすだけで、その場をパッと楽しく明るい幸福感に包まれたものにする。
そんなとても素敵な帽子くんと昨日のアラヤンが、僕の中でピタッとフィットしたんだった。

幸福の形はそれぞれだから、あれはダメこれはダメと否定するのはナンセンスだが、あれは好きこれは好きじゃないぐらいは言ってイイと思う。

真っ白のキャンバスがみるみるうちに作品に変わる。
これはある意味、魔法だなと思う。

アラヤン、キミは魔法使いだな。
それも誰かをそっと幸福にする粋な魔法使いだな……と思う。
いいぜ、かっこいいぜアラヤン。
……と思った。
それでは股旅をする。

棚が充実し始めた

移転して早いもので二年半弱。
新店舗には、そこに自分の全てが詰まっているような棚を作りたいと意気込んでいたが、ココに来て充実度がだいぶ増して来たような気がする。
レコード、本、CD、帽子、その他飾りもの。
全て、今の自分を構成するものばかりだ。
これらは髪切り稼業において、絶対必要なものたちではないのだが、これがなくては自分ではないし、DOODLIN’ BARBER SHOP にはなりえない。
そういうもののことを現す言葉って何なのだろうか。
なんかこうグッと来る言い回しがあったら教えて欲しい。
さっき、カーラジオを流しながらブロロロンと走っていると英語が堪能なDJとゲストのアメリカンが英語でペラペーラと話してて、それから「ハーッハハハハハッハー!」と実に外国人っぽく大げさに笑いあっていていて、一呼吸おいてから、DJが「今、これこれこういうことを話してたんです。ハハッハ〜!」と後付け説明してくれたのだが、全然面白くなくて白目になった。
あれ何なんだろうか。
もし私に英語力があったのなら、同じタイミングでハハハハッハッハハハッハー!と笑えたのだろうか。
こんなこと書いているが、実際は外人のああいう感じは好きだ。
でも、日本人が同じノリだったりすると、ちょっと照れくさくなる。
あれ何なんだろうか。
これがいわゆる“コンプレックス”ってやつ何なのだろうか……
BE MY BABY。
今、満を持して映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観ている。
ヒップホップ・グループ、N.W.A.の結成から脱退、再結成までを描いた伝記的映画だ。
うちのお客さんからも「面白い!」という声が多々聞かれたし、私としても興味津々な作品でもあった。
例によって、一日四十分ずつ観るという自分的にはしっくりくる鑑賞法で観ているのだが、序盤からクライマックス直前まで怒涛の面白さではある。
当作品を絶賛していたお客さんの一人が「ヒップホップや、N.W.A.を知らなくても楽しめる青春映画ですよ」と言っていたが、まさにその通りだと思った。
まあ、映画の内容はさておきだ。
N.W.A.初期のメンバーでもあったアイス・キューブを演じている役者さんが鳥肌が立つぐらい似てて、世の中にこんなに似ている人いんの?と独り驚愕していたのだが、調べてみたらアイス・キューブの実の息子さんだった。
でもね。
息子とはいえ、ココまで似るものなのかと。
遺伝子の脅威を感じざるを得ないわけである。
ともあれ、今後の『ストレイト・アウタ・コンプトン』の展開が楽しみだ。
ギャングスタ・ラップってあまり聴かなかったし、今後も聴かないつもりだったけど、少しだけ聴いてみようかしら。
う〜ん、でも聴かないかな。
店で流すのもなんかこうちょっと合わないだろうし。
さてと。
んじゃ、そろそろ庭の落ち葉拾いします。
股旅。

爆発的にさりげなく

先日、お客さんとの話の中で元売れっ子の某ミュージシャンの話題が出まして。
その某ミュージシャンは相当売れるためにいろいろとリサーチをしてたらしいが、出来ることなら売れるためにとか考えずに、やりたいことを自分の好きなようにやって、そしたら売れてたって方がずっとカッコイイし憧れちゃいますな〜なんて笑い合ったのでした。
我ながらしょうもないなと思うのですが、自分の仕事に関してもこの思いが抜けてない。
売れるために、売れるための何かをするっつーより、やりたいようにやってたら売れちゃったぜ〜って道を未だ目指している節があるのです。
いや、そこ狙って行かなきゃダメだろ!って思ったりもするんですけどね。
なんか出来ないまま来ちゃいました。
なんかこう、さりげなくやりたいじゃないですか。
努力、葛藤、不安、とか微塵も見せずに華麗にやり遂げたいじゃないですか。
いや、もちろん努力も葛藤も不安も、どれも必要ですよ。
それが無きゃ、ただのアホですし。
でも、それを見せずに涼しい顔で口笛拭きながら、すごいことをさらりとやってのけたらさ。
猛烈カッコイイなって思っちゃうんですよ。
痛々しいことに。
痛々しいことは重々承知で、このまま走り抜けたいと思ってます。
今後も、肩肘張らずにイイ塩梅で力を抜いて爆発的にさりげなく、どうってことないぜって感じでやりたいですね。
なんか幼稚な物言いになりましたが、四十六歳にもなってそんな矜持を抱いているんです。
魅力的な店にしたいし、魅力的な人間になりたいですね。
ほら、もう全然さりげなくもなんでもなくて、かっこ悪さ全開になってますけど。笑
さてと。
明日もイイ仕事しよう!
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平

何度目かのブーム到来

おはようございます。
連日の晴天続きで秋うららですね。
晴れやか気分とは裏腹に、僕の中では何度目かのニール・ヤングブームが来ております。
数年に一度訪れるニールでヤングな気分。
これは秋晴れ続きだからこそのものかもしれないですね。
人はギャップを求めるものなのだと思います。
さて。
こうなると俄然ギターを弾きたくなるのです。
だけど僕にはギターがない。
キミに聞かせる腕もない。
心はいつでも半開きなわけですが……すみませんちょっと嘘つきました。
ギターはあるんです。
それも途轍もなく格好良いギターが。
高校時代からの友人カワサキが「このギターはテッペーの店にきっと似合うと思うぜ」と無期限で貸してくれたGretsch “G6138” があるんです。
これをジャカジャカ弾いてみたいじゃないですか。
そのギター、別にニールでもヤングでもないんじゃない?だなんて無粋なことは言わないでください。
白状しますと、この思いはビートたけしさんがインタビューでこんなことを言っていたのにも多分に影響されています。
『あまりにも時間を無駄遣いしたなと最近気がついたの。
そういう時って、たいてい人生長いことないんだよね。
だから自分はあと何年と考えると、やってみたいことがたくさんある。
今やらないともう終わるなって。
ピアノの練習をしたり、絵をまた描き直したり、小説書いたり。
ほんと酒飲む時間がなくなっちゃったね。
ピアノは先月また新しいのを買った。ただ、弾いてるのが「もしもピアノが弾けたなら」。
情けないよ。
けど、あれ意外に難しくてね……』
僕もすでに四十六歳。
まだまだ先があるぜとも言えるが、人生何があるかわからんもんです。
十年前に考えていた十年後である今現在。
予想通りになっていることなんてほとんどないですもの。
何度も何度も「ギターやりたいぜ!」と十代の頃から吠え続けて来ましたが、さすがに潮時かと。
いつやる?
今でしょ!
なわけです。
そりゃやるなら上手くなりたいですが、別に下手でもいいんです。
出来なかったことが出来るようになる。
わからなかったことがわかるようになる。
それだけで楽しいじゃないですか。
いやもう、楽しければそれで良いんじゃないかと。
僕の父も七十を過ぎたあたりから、ラジオ英会話を始めましてね。
当時は「いつ話すの?いつ使うんだよ?」だなんて、下衆で浅はかで卑しい思いを抱いていましたが、今ならわかるぜ、父さん。
別に話さなくても使わなくても良いんだよね。
そりゃ使えるチャンスがあれば最高だけど、その前に学ぶことが楽しいんだよね、父さん。
つーわけで、人生で何度目かになるギターやるぜ宣言です。
ニールでヤングなのも良いけど、ニックでドレイクなのも良いですね。
ジャンゴでラインハルトなのも良いし、竹原でピストルなのも良いし、岡林で信康なのも良いな。
ホント理想と妄想だけは一丁前です。
今日は定休日。
積極的にガシガシ休もうと思います。
それでは股旅。