わざわざ遠回り

おはようございます。

行きつけの模型屋さんで『プラモデルがうまくなる本 少年の頃、夢中になった大人たちへ』と云う、まさに今の私にドンピシャで魅力的な本を見つけたのですが、手に取るのをやめたのです。

四十年ぶりにプラモデル作りを再開して一年が経ちました。
まぁそれなりに自己満足できるものも作れるようにはなりましたが、まだまだその道(プラモ道)は果てしないロング アンド ワインディングロード。

だのに、私はこういったマニュアル本を見ないようにしているのです。
さすれば、「なるほど!こうすれば良かったのか!」と参考になる情報が満載であるはずなのに、私は手に取らない。

それは何故かと考え、それが何故かがわかりました。

私は、自分でそこに辿り着きたいようなのです。
あれこれ失敗し、あれこれ試行錯誤し、そして自分なりのやり方を見つけたいようなのです。
マニュアル本を見れば、そこをショートカット出来る。
でも、それがなんだかつまらないのです。

若い頃だったら、直様飛びついていました。
ゲームでも、すぐに攻略本を見てさっさと先に進めることを選んでいました。
その足踏みしてる時間にイライラし無駄に感じていたのでしょうね。
そんなだったのに五十路になった今は何故だかそれをしたくないのです。

上手い人の作品も見たくない。
己の技術とセンスの無さを痛感し落ち込みたくないってのもあるが、それより大きいのが「影響を受けたくない」って思いです。

一緒にプラモデル作りを楽しんでいる十歳息子は、YouTubeやら何やらから情報をたっぷり吸収し、すぐに真似をし、そして失敗し、そこから創意工夫をして、どんどん上達しています。

その素直さ貪欲さを見て、羨ましく思う自分もいるのだが、それはしない。
それはしたくないのです。
多少、いやかなり遠回りになろうとも、自分で考えてそこに行きつきたいのです。
こんな気持ちわかるでしょう?

この信念は、何となく自分の仕事や店作りにも繋がっているような気がしています。
ずっとプラモデル製作から離れてはいましたが、髪を切ることとプラモデルを作ることは似ているなって常々思っていましたしね。

プラモデルは、組み立て説明書通りに作れば、一応形になります。
髪もそう。
セオリー通りに切れば、一応形になる。

プラモデルは、そこから塗装したり改造したりディテールアップして、自分だけの作品を作り上げていく。
髪を切ることも、それが必要。
自分だけの創意工夫が、自分だけが作れるヘアスタイルになって行くのだと私は信じています。

たかがプラモデル。
されどプラモデル。

そういうものの中に愛が多分きっとあるのだと思っています。
なんつって。

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