コンクリートなんか かち割ってしまえよ

六月まで我慢しようと思っていたのだが、ここ最近の連続真夏日に耐えきれず今年も半ズボン生活突入。
48歳にもなって、これってどうなのよ?
って気持ちも無きにしも非ずではあるが、半ズボンのヒューヒューさ加減には敵わない。
このフリーダムさ加減には到底太刀打ちできないのである。
近頃やけに くるり が歌う「男の子と女の子」が響く。
以前はそうでもなかったのに、急にいきなりサドンリーになぜか響き始めたんだった。
ちょっと川崎の事件の影響もあるかもしんまい。
この曲は、公園で遊んでいた幼稚園児たちを見て書いた曲らしく、それを聞いてなるほどだからか……とも思った。
歌詞の中でも特にこの部分
♪小学生くらいの男の子
世界のどこまでも飛んでゆけよ
ロックンローラーになれよ
欲望を止めるなよ
コンクリートなんかかち割ってしまえよ
かち割ってしまえよ……♪
にグッと来る。
息子の遊ぶ姿がグワングワンと頭を回る。
息子よ、世界のどこまでも飛んでっちゃえよ。
父さん、僕もいっちょまえに父親になったようです。
川崎の事件に尋常じゃないくらい心痛めています。
なんだかいろいろ厳しいことをいう人がいるので、「死にたいなら一人で死ね」とは言わない。
ただ「赤の他人、特に子供を巻き添えにはしないでくれ」とは言いたい。
さてと。
『続・横道世之介』でも読もうかな。
 
 
 
 
 

心地よく自己嫌悪

「ねえ、手ってなんであるの?足は?背中は?」
「ゴジラと恐竜、どっちが勝つかな?」
「ゾンビっているの?」
息子から投げかけられる強烈にピュアな疑問の数々にどう答えたらイイのだろうか……
こういうとき、何だか上手な物言いをしたいもんだぜと逡巡してしまう。
そんな自分の醜悪さにちょっとだけ落ち込むのだ。
息子が求めている答えはいたってシンプルなもののはず。
粋とかウィットとかはいらない。
それがわかっているのに「あのとき、親父はこう言ったのさ……」だなんて、いつか遠い目を息子にしてもらいたいなんて考えている自分が甚だ気持ちが悪い。
適当に流すことはしないように気をつけているが、正直「そんなこと知らん!」と絶叫したくなるようなキテレツなクエスチョンもあって、全くもってトホホな日々なのである。
毎日、ひらがな書き取りの宿題があるのだが、「上手じゃなくてもイイ、ただゆっくり丁寧に書こうな。その気持ちが大切だぜ」などと言っている自分に酔っ払っている。
今や、授業をノートに書き取りするのではなく、タブレットなどに打ち込むのがスタンダードになりつつあるみたいだし、正直あまり必要ないかも……と内心思っちゃっているわけで、そんなんで息子をどうにか言い聞かせようとしてて、これまた醜悪だぜオレってばさ……と自己嫌悪。
子育てはキャッチボールだと誰かが言っていたが、かつては自分がピッチャーのつもりだったのだが、今や息子が号速球ピッチャー。
僕はミットの綿を抜いて「う〜ん、イイ音出てるぞ!」とその球を受けるキャッチャーのようだ。
どんな暴投でも受け止める気概も必要だ。
なんて、ココでも上手いこと言っている気になっている。
イヤだね〜イヤだイヤだ。
ともあれ春爛漫である。
今更ながら読み込んでいる漫画「クロコーチ」がたまらなく面白い。
おかげで陰謀論大好き中年床屋のおやじさんになって来ている。
イイ感じだぜ。
それでは股旅。

何かが何処かで繋がっているのを感じる

お客さんの秋山さんからヨシオバンクをいただいた。
これは嬉しい。
ザ・クロマニヨンズのマスコットキャラクターでありUMAの高橋ヨシオを模した貯金箱。
これは熱い。
息子はヨシオを見て「お父さんみたいだ!」と言っていた。
これはちょいと複雑である。
最近たまたま思いつきで観た映画が、思わぬ自分との関連性があったりして、不思議嬉しい気分になったりしている。
20数年前、新宿プラザで野口くん(通称 ゴルゴ)と観た『ケープ・フィアー』。
クライマックスに差し掛かったとき、爆睡している野口くんに気付いたのだが、このまま寝かせておいてあげよう……俺って優しいな〜と思い放置。
スタッフロールが終わったので揺り起したら、まずい寝ちゃったもう一回観ようよ!と言い出したので、いやそれは断ると言ったら、なんだかプンスカしていた野口くん。
お互い若かったね。
起こせば良かったかな?
そんな想い出がいっぱいな『ケープ・フィアー』を観るのは、そのとき以来。
懐かしいな〜と観入っていたら、ふと思った。
筋肉ムッキムキで全身にタトゥーを入れたロバート・デ・ニーロが、この映画の公開時の年齢ってどれくらいだったのかな〜と。
それで調べてみたらどんぴしゃり。
デニーロ、48歳のときの怪演だったのである。
これまた名作『グッド・ウィルハンティング』出演時のロビン・ウィリアムズが47歳で「タメかよ〜‼️」と驚愕嘆息しまくったのが、つい数ヶ月前のこと。
公開当時「大人だなぁ……」と見上げていた、名優たちといつの間にか同年代になっていたっつー腰砕け感。
それに比べてオレはどうなの?
ボール一つにキリキリ舞いさ……なのである。
さて、次は何を観ようかしらん。
また何かしら意外な繋がりがあると面白いな。
ま、こういう映画の楽しみ方もあるよって話である。
それはさておき、DOODLIN’ BARBER SHOP 新作オリジナルTシャツの話である。
おかげさまでご好評いただいておりまして、ホッと尻を撫で下ろしている次第であります。
例によって、ご予約ご注文をある程度承ってから、その数プラスアルファの制作枚数になります。
6oz ボディを使用したホワイト、ヘザーグレー、ディープネイビーは3900円。
今まで作ったオリジナルTシャツと同じ5.6ozボディのオレンジとBANANAは3600円になります。
20日くらいにご予約ご注文を〆切、それから発注となりますので、六月半ばくらいには納品となるよう頑張ります。
とても良いものが出来そうな予感がムンムン。
是非ともよろしくです!
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝
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令和、よろしく。

本日五月四日。
小生、爆発的にさりげなく四十八歳になりました。
これは目出度いぜ愛でたいぜと一発目のBGMにビーチボーイズの “Pet Sounds” をナイスチョイスしました。
このアルバムがリリースされたのは1966年。
五十三年も前に作られた作品が心を賑やかに湧きたててくれるなんて、何てスペクタクル!
不惑に突入して八年も経っていますと、それはもうたいそうな年齢です。
五十路も目前だぜ感がムンムン漂ってきました。
ならば、人並みにひとかどの人物になれてれば良かったのですが、全然なれていないのが圧倒的リアル。
まだまだ若輩者過ぎで震えが来ます。
日々鍛錬修練修行、えっとそれから、その他諸々色々な感じです。
でも、その順調に行けばあと二年で迎えるであろう五十路なのですが、なんだかちょっと楽しそうだなぁとぼんやり思い始めているのです。
思い返せば四十路を迎えるときも、そんな風に思ったような気がしないでもないです。
これはもうポジティヴというより、ちょっとバカなのかも知れませんね。うふふ。
今朝、朝食を食べてたら六歳になる息子が「お父さん、今日誕生日だよね!」とおもむろに立ち上がり自分の部屋にかけて行きました。
ゴトゴトガタガタと何事か音を鳴らしたのち、戻ってきた息子の手にあったのはゴジラのフィギュア。
「これあげるよ!」
 
「これ、大事なんじゃないの?」
 
「もう全然遊ばないから!」
 
「あ、ありがとう!」
そのゴジラは、かつて私が息子に買ってあげたものだったのでした。うふふ。
妻さんからも、どうやら本日プレゼントの本が届くようです。
嬉しありがたし。
こんな年齢になると、自分の誕生日なんてスーンと澄ましてやり過ごし、あ、そういえば誕生日だったなぁ……だなんて頭をポリポリかきたいところなのですが、いざその日を迎えるとダメですね。
テンションだだ上がりですもの。
まだまだ修行が足りませんな。
今日はなんだか、とってものんびりした日になりそう。
商売として、それってどうなの?とは思いますが、抗うな受け入れろ、これもまたご褒美なんじゃ? の精神で過ごそうと思います。
ともあれ、どうもありがとうございます!
廻りに溢れる愛に感謝します!
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝

素敵じゃないか

「どうしてそんなに音楽が好きなのにヤメちゃったの?」
妻ちゃんにそう言われてハッとした。
私は小一から中三まで九年間ピアノを習っていた。
受験がどうとか、高校に行ったら習いに行く時間も練習する時間もなくなるだとか、そんな真っ当っぽい理由をこじつけて、私はピアノをヤメたのだ。
今になってみれば、どんな形でも続けてれば良かったよなと思う。
最近、BSで朝放送している『空港ピアノ』や『駅ピアノ』(空港や駅に置かれたピアノに定点カメラを設置し、訪れた様々な人種年齢の方々が紡ぐ音とその方たちのその曲を何故演奏したかを描く素晴らしい番組です)を観てて、その思いはさらに増すばかりだ。
さらりとポロロンと好きな曲を弾けたらどんなに素敵だろう。
今更になって、そのことに気づいたのだった。
いや、そんなことはずっと前から知っていたはずだ。
だのに、私はピアノから遠ざかった。
実家に帰ればピアノはあったのに、私は触れようとしなかった。
誰も触れなくなったピアノを両親は処分することにした。
運ばれていくピアノを見て母は涙が出たと言っていた。
私はそのとき、自分の心がざわめかなかったのを覚えている。
ふ〜ん……だなんて感じだった。
人にはなんでそんな瞬間、そんな感情が生まれることがあるのだろう。
自分のことながら、そんな自分を嫌悪する。
今春、小学校に入学した息子はこれから何をやるだろうか。
何をしたいと言い出すだろうか。
音楽にも興味あるみたいだし、スケボーにも興味がある。
サッカー、野球、水泳、格闘技。
息子はまだまだこれから何でもチャレンジ出来るんだよな。
私はピアノを習いたいと両親に言った記憶はない。
いきなり「ほら、これからピアノ教室行くよ!」と連れて行かれたのだ。
きっかけは、親族が集まった席でピアノが弾けたらいいよねと私が母に言ったからだったらしい。
正直嫌だった。
五線譜に音符を書いたり、手拍子でリズムをとったり、そんなレッスンばかりだったし、うちにはピアノがなかったので、鍵盤が書かれた紙で練習するのにもテンションが上がらなかった。
近所のピアノがある家に行って、弾かせてもらうのもなんだか恥ずかしかった。
その風向きが変わったのは小学校の音楽の時間だった。
いつの間にかピアニカがすらすらと弾けるようになったのだ。
ピアニカでメロディーを紡げるようになった頃、我が家にアップライトピアノが届いたんだった。
今後、何かしらのきっかけで、またピアノを弾くことになったら……それも素敵だな。
そうしたら、弾きたい一曲がある。
阿部海太郎さんの「バスティーユのアメモヨイ」というピアノ曲だ。
これぐらいだったら指はまだ動きそうだ。
ただ誰かに聞かせるレベルまでには到底及ばないが、曲の体裁は一応整えられそうだ。
練習して練習して。
それから、私の四十八年間の人生をさらりと音に乗せられたらなと思う。
そうできたら素敵だなと思う。