音楽が空気を作る

アレは二十数年前の真夏真っ只中のこと。

免許取立てだった僕らは男三人で友人の父親の愛車SUBARU に乗って伊豆までドライブと洒落込んだんだった。
その道中、CDオートチェンジャーにブチ込まれたのは10枚全て BOB MARLEY 。
延々と流れ続けるレベルミュージックに、身体を心地良く揺らしていたのは僕ともう一人。
ロッキンオン系洋楽ロックを愛した残りの一人が、伊豆に着いたときに漏らした言葉が忘れられない。
「いや〜全然嫌いじゃないけどさ。今日確信したよ。レゲエで人を殺せるな。」
これには笑った。
嫌いとは言わないあたりがヤツっぽかった。
特に目的があるわけでなく伊豆を目指した僕ら。
着いても、どこに寄るでもなく、車内でコンビニのおにぎり食べて仮眠をとって、そのまま帰ったんだった。
金はないが時間だけはありまくったあの頃。
どうでもいい話で笑いあったあの車内。
久しぶりに BOB MARLEY & THE WAILERS の「KAYA」を聴いてみたら、グワングワンとあの日あの時の気怠い空気感が蘇ったんだった。
音楽にはそういう力があるんだよなぁ……とあらためて実感。
すこぶる良い感じだ。

若者のすべて

今この日記を書きながらフジファブリックの 1st アルバムを聴いている。

なんだかんだ聴かずじまいで、ずっと来ちゃったんだけど、不意に聴いてみようと思い立ったのが先日。
正直、初めはピンと来なかった。
フーンコンナカンジカ……
そんなもんだった。
でも、なんだか今ものすごく来ている。
すごく来ている。
三曲めの『陽炎』で凄く来やがった。
鳥肌どころか総毛立った。
何なのこれ?
泣いちゃうかと思ったYO
それと同時に切なくなった。
ボーカルの方が亡くなったのは知っていた。
十年ぐらい前か。
死んじゃっているんだよな。
切ないよね、こういうの。
ここ最近、仕事の空き時間にペラペラめくっているのが『ジョージカックルの WEll WEll WEll』という本。
スローでメローな人生論。
絶対に必要ではないけれど大切にしたい生きるコツ。
そんなことが帯や表紙に書いてある。
こういうの惹かれちゃう。
ずっと前からも、ずっとこれからも。
なんかヒントはないかなといつも探している。
いい教科書はどこかに落ちてないかとあちこちブラブラ探している。
こんな年齢になったというのに、まだまだ教わりたいし、教えてもらいたい。
いい加減、そろそろ教える立場にならなくてはならんのかもだけど、そんなの知らん。
教えて欲しい。
クリント・イーストウッド監督主演の『運び屋』という映画を観たのだけれども、イーストウッド演じる主人公が、やたらとワカゾウたちに「イカれジジイ!」とか言われてて、でもそれに対して「老人を敬え!」だなんて口が裂けても言わない感じで「うるせーぞ”!イカれやろう!」と返しているのを観て「こ、これだ!」と思った。
まだまだ僕は年少の方々にタメ口たたかれると「ぬ?」と眉間にシワが寄ってしまう未熟者なわけで。
ナメられてたり、小馬鹿にされてたりなら嫌だしムカつくし怒るけども、親しみを込めてそういう向き合い方をしてくれるのならば歓迎するぜボーイ!って感じになりたいなと思う。
細かいことを気にすんな。
ジタバタすんな、ホコリが立つぜ。
そうありたいもんである。
まだまだまだまだその道は長く険しいけれども。
さてと。
こうなったらフジファブリックの『若者のすべて』でも聴くかな。
猛烈台風が過ぎ去った夏の終わりに相応しい名曲だ。

大丈夫。世界は、まだ美しい。

学校に行く直前になると「行きたくないな……」とむずかる息子。

はてさてどうしたらいいかと思案していたら、妻さんが「今日は図工があるじゃない!」と一言。
そしたら、みるみる息子の表情が曇り空から天晴れに。
「楽しみ〜」
だなんてゴキゲンで出て行ったから驚いた。
そうなのだ。
学校行けば楽しいことがあるんだぜ〜ということをイメージさせなくてはなのだ。
そんなことをチチンプイプイとやってのける妻さんスゴイぞ。
おまけに、息子が育てている朝顔たちが見事に花咲いていて、それも息子のゴキゲンに拍車をかけてくれた。
コレであいつはさらにルンルンだ。
小学一年生の思考はいたってシンプル。
シンプルゆえに難しく感じてしまうのは、自分がオッサンになってしまったからだろう。
何しろいちいち面倒くさく考えてしまうのは中年の悪い傾向だ。
そんなとき子供のシンプルさ加減には瞠目させられる。
時には感動的ですらある。
本当は、ほとんどのことがシンプルな思考と行動を持ってすればクリアできることなのだろう。
それを一度忘れてしまって、おっとそうだったなと原点に立ち返ることにきっと意味があるのだと思う。
最初から最後まで何の迷いもなくシンプル街道を突っ走っていたら、それは多分きっとアホウだろう。
学生時代の後輩が主催する Groovetube FES を紹介している記事を読んでいたら「NOT WONK」という若手バンドの動画がリンクされていて、何気なく聴いてみたらそれはもう驚いたんだった。
何だこれは!
まさに度肝を抜かれたとはこのことだった。
北海道苫小牧出身の3ピースバンドで、メンバー全員まだ二十代半ばだそう。
こんなに若いのに何がどうなったらこんな音を紡げるようになって行くのだろうか。
大丈夫。
世界は、まだ美しい。
そう思った。

いつか見上げた空に

 

今日は朝から裏庭の草刈りと洒落込んでみた。
ちょいと油断すると彼奴らはグイグイ伸びまくりなもんだから、それはもう一苦労。
一時間ほど作業して小休止していると、妻さんが三ツ矢サイダーを差し入れてくれた。
この世のものとは思えないぐらい美味しかった。
飲み干して、芝生に寝転んで青空を見上げてみたら、どこからか Original Love の “いつか見上げた空に” が聴こえてきた。
懐かしく優しいメロディー。
風が吹き抜ける。
気持ち良かった。
この瞬間を切り取って表現したいと思い、それを見たり聞いた他の誰かに、その切り取られた瞬間に近いものを感じさせられる人のことをきっと芸術家と言うのだろうな……だなんてぼんやり考えた。
 
昨夜は家族で花火をやった。
昨年にはまだ手に持つことすら出来なかった息子がキャッキャと楽しんでいた。
いろいろ様々、いつの間にやら変化しているものである。
 
先日、音楽好きのお客さんと話をしていて “ハイハイハイ!それそれそれ!” と激しく同意したこと。
それは聴く音楽の幅を広げてくれたのは映画のサントラだったよねって話。
 
思えば二十代前半の頃、池袋wave や新宿のVirgin Megastores の映画音楽コーナーで見つけたオリジナルサウンドラックを聴きまくったものだった。
好きになった映画の音楽は必ず良かったし、いい音楽を使っている映画を好きになった。
良いなぁと感じた曲が、知らないアーティストのものだったら、そのアーティストのアルバムを聴いたり、知らないジャンルのものだったら、そこを突破口に新しいジャンルに飛び込んでみたりした。
そうこうしているうちに、いつの間にやら底力がついていたって感じなのかな。
映画が面白ければ原作を読んだし、そこから歴史に興味を持ったりもしたし、ある意味 “映画” が教科書代わりだったのかもしんまい。
あ、漫画も教科書代わりだったな。
 
今日は朝から良い汗かいた。
よしよし。

夏のぬけがら

キャンプに行ってきた。
と言っても、ハードなものではなく、トイレシャワーエアコン付きのトレーラーハウスに泊まるというイージーモード。
妻さんと息子を連れてとなると、コレがベスト。
のんびり気ままに良い時間を過ごせた。
 
トレーラーハウスに泊まるのは憧れだった。
その憧れの根源はラッセ・ハルストレム監督の『ギルバートグレイプ』かも知れない。
あの映画を観た二十数年前から、ずっと憧れていたのかも知れない。
素敵なキャンプ場を見つけてくれた妻さんに感謝しなくては。
こういう場所や素敵なものを見つける彼女の感覚の鋭敏さには、いつも驚かされる。
息子もとても楽しんでいたし喜んでいた。
また行こう。
また行きたい。
 
そういえば昨夜、同じくラッセ・ハルストレムが監督した『僕のワンダフル・ライフ』という映画を観た。
五十年間で三度生まれ変わり、最愛の飼い主と再会する犬の話。
そんなバカなというのは簡単。
こういうファンタジーを「もしかしたらあるかもね〜いやあるよ!絶対あるってば!」と思える気持ちを持ち続けたいもんだ。
 
僕らがキャンプに行っている間、独りで留守番をしていた愛猫 すなすけ の帰宅後の妻さんへの甘えっぷりを見ていると、そう思わせるものを猫や犬は持っているなと感じる。
彼らのあのまっすぐな気持ちに胸を打たれるし、胸が熱くなるのである。
 
トレーラーハウスのポーチに干された息子の水遊び後の水着やTシャツを見てたら、夏の終わりを感じた。
多分この気持ちのこの感じを “もののあはれ” というのだろうと思った。
真島昌利先輩の『夏のぬけがら』が聴きたくなった。
私が高校三年のときから三十年、毎夏毎に聴きまくっている名作傑作アルバムだ。
 
でもこの日記を書きながら聴いているのは、cero の “Summer Soul” 。ああ気持ち良し。
この曲のPVに出てくる NISSAN ラシーン が素敵なのよね。
こういう物語を感じさせてくれるクルマが好きだ。
 
それでは股旅。