そこ抜いて行こうぜ

月日の経つのは甚だスピーディなもので、うちの息子も来月で五歳になる。
四月から幼稚園の年長さんになり、来年には小学生になるっつーんだから驚きは隠せない。
ぼんやりしている場合じゃないぜとランドセルのカタログ請求もした。
これこれ、これなんだよっ!って意中のものをゲットするには、春過ぎぐらいには注文をしないとダメだっつーんだから参った。
ジタバタするなよホコリが立つぜと余裕綽々でいたいところだが、そうもいかないようだ。
息子に「何色のランドセルがいい?」と訊いたら「ムラサキ!」と即答されたのには驚いた。
いやいやさすがにパープルはないだろと思ったら……あるじゃないっ!
バットマンのジョーカー、もしくは殿下(ミュージシャンのプリンスね)の影響なのか。
ともあれ息子の未来は明るい!
そう思ったんだった。

 

先日リリースされた くるり の新曲『その線は水辺線』がすこぶる良い。
最初は「ん?」と思ったのだが、聴いているうちにみるみる良く感じて来る、このフェードインな感じ。
いろいろ様々表現ってものをする上で理想的だなと思うのである。

OKAMOTO’S のベーシストであるハマ・オカモトが

「くるりの新曲、すごい。素敵。
普通のバンドがさー録音するぞ!
ってスタジオ入って録れる演奏じゃない。
こんな音と演奏で録れない。
ふつーは力む。」

と言ってて、なるほどと思った。
力んでいない……そこが凄いところなのだな。
でも、これは確かに言えている。
力んでいない物事ってのは得てして魅力的なのだ。
どこでどう抜くか。
抜くぜって意識したら、それはちょっとダメ。
気づいたら抜けてた。
もしくは「え?抜けてた?何が?」ってぐらいになりたいものである。
まあ、こんなこと書いている時点で全然抜けられないのだけれども。

 

幼少時から父に本を読め読めと耳にタコが出来るぐらい言われ続けてきたが、この年齢になってやっとどうにかちょっとだけ、父がなぜそう口が酸っぱくなるほど言い続けてきたかがわかってきた。

だから、私も息子に本を読むべし読むべし、ひじを左わき下からはなさない心がまえで……やや内角をねらいえぐりこむようにして読むべし!
と鬱陶しがられるぐらい言おうと思う。

読書は絶対に心を豊かにする。

これは私が四十六年間生きてきて、数少ない自信を持って言えることの一つだ。

憧れのナイスミドルへの道は長く険しい

クルマを運転中。
細い道で対向車を察知するや否やスペースを見つけ停車させ「どうぞどうぞ〜」と道を譲るようにしているのだが、手を挙げるでも会釈するでもスマイルするでもなく華麗にスルーされると猛烈にチリチリする、そんな些細なことにチリチリする自分にさらにチリチリすると云う無限チリチリスパイラルに陥るのが嫌なんですよね〜
僕はあの瞬間『機動戦士ガンダム 第34話 宿命の出会い』のある場面を思い出すんですよ。
非武装地帯で主人公アムロ・レイのクルマがぬかるみにハマったとき、敵であるシャア・アズナブルに遭遇し、そのシャアに助けられ無事クルマをぬかるみから出すことが出来るのだが、アムロはシャアを前にし呆然とするばかり。
そんなアムロを見てシャアがこういうのです。

『目の前に敵の兵士を置いて硬くなるのはわかるが、せめて礼ぐらいは言ってほしいものだな、アムロ君』

あの場面が脳裏に浮かぶんですよね〜

なんて話をお客さんとしておりましたら、そのお客さんに言われたんです。
「僕も以前はチリチリしてましたよ。
でも、僕が首を悪くしたときに、同じ場面に幾度か遭遇したのですが、ホント首が痛くて何もリアクション出来なかったんですよ。
悪いな〜と思いつつも。
だから、それから僕は思うようにしているんです。
『あ、あの人もきっと首が悪いのかもしんまい。そうじゃなくてもきっと何かしらリアクションすることが出来ないのっぴきならない事情があるに違いない』とね。
そもそも、相手はアムロじゃないしテッペーさんもシャアじゃないし!」

このお客さんの言葉を聞き、僕はハッとしてグッと来たのでした。
チリチリする前に、ムッとする前に、相手がなんでそんなことをするのか考える……。
これを実践することによって、また一歩憧れのナイスミドルに近づけるに違いないなと。
近しく親しい間柄の関係では、ある程度出来ていたことなのですが、通りすがりの方々にはなかなか出来るものじゃありません。
でも「出来るかな?じゃないよ。やるんだよ!」と云うノッポさんの名言もありますし、ここはやはり実践実践また実践だなと。
そう繰り返すことによって、人はやっと習慣化できるものなのだと。
そう思い至ったわけです。
四十路半ばにして、やっとこの境地を目指し始めたわけです。
でも遅いってことはないはず。
ナイスミドルへの道は長く険しいのは周知の事実。
一歩一歩進んで学んで得ていくしかないんですよ。
悲しいけど、これ人生なのよね。
それでは股旅。

未来は甚だ明るい

息子が折り紙を持ってきて、これで手裏剣を作ってくれと云う。
作ったことないのでネットで検索したら出てきたのでやってみたら、これがどハマり。
すでに十数個は作っただろうか。
これを書いている今でさえ作りたくてウズウズしているくらいなのである。

 

今更ながら感心したのは折り紙の奥深さ。
調べれば多種多様な折り方がある。
そのどれもに共通しているのが、やはり最初の一折り。
ここから正確に折らないと仕上がりは甚だしく悪いものとなる。
いや、下手したら途中で折ることが出来なくなることもある。
最初の一折りに限らず、毎回毎回キチンと折っていかないと美しい手裏剣は作れない。
その融通の利かなさにどハマりしてしまったのだ。
日頃モットーにしている脱力楽観まあいいじゃんそれでいいじゃんいいじゃん的ノリが全く通用しないのがたまらなく面白いのである。

 

最初の一手で決まる。
これは、自分の仕事にも相通じるものだと思った。
いや、人生生活などなど全てにも通じるものかもしれない……と大袈裟に考えてみた。
折り紙、甚だ奥深しなのである。

 

どハマりしているといえば、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』なのである。
何を今更と笑われるかもだが、今まさに最高のタイミングで観られていると思えているのでこれで良し。
面白い!最高!との評判はガッシガシ耳に入って来てたのだが、いつ観る?今でしょっ!とは、何故か何故だかなかなかならなかったのだ。
それがふと思い立って観たのがつい先日。
ゴンヌズバーとどハマりしたっつーわけなのである。
全編を通してビッシビシ五感に響き渡るエネルギーが尋常じゃない。
血湧き肉躍るって形容がドンピシャ。
大袈裟な物言いになるが「生きる活力」にすらなり得る作品だと感じている。

 

マックス役のトム・ハーディーの魅力も凄まじい。
今後の人生を「俺はトム・ハーディーに似ている!いや、俺はトム・ハーディーだ!」と唱えながら生きていこうと思えたぐらいだ。
トム・ハーディーの方が全然年下なのに。

 

先日観た『レゴバットマン ザ・ムービー』でも感じたが、こんなスピード感とテンションがスタンダードになるのだろうか。
ともあれ、未来は明るい!
見渡せば、逆のネガティブな未来観ばかりが目につくので、ここで敢えて言おうと思う。
未配は甚だ明るい!

 

さてと。
GOOD MUSIC & POSITIVE VIBRATION をモットーに今日も生きよう。
完璧な休日になりますように。

 

股旅。

二十歳の火影

今月号の雑誌『POPEYE』の特集は「二十歳のとき、何をしていたか?」。
これはもう読まなくちゃだな!と鼻息荒く手に取ったわけだが、今となって「あれれ?何で私はこの特集に惹かれたのだろうか……」と不思議な気持ちになっている。

 

自分自身の二十歳の頃を思い出してみたが、それはちょうど二年目の浪人生活真っ只中。
何者でもない自分に苛立ち、諦め、焦り、そして「まぁいっか!」と開き直った年だったな〜とおぼろげながらに記憶を辿ったんだった。

 

ページをめくれば、輝かしい二十歳を過ごしている方々ばかりで気が引けた。
あの頃のオレよ。
日々何を考え過ごしていたんだい?
何か格好良いエピソードはあるかい?
どんな音楽を聴いてたんだい?
どんな本を読んでたんだい?
どんな映画に感銘を受けていたんだい?
四十六歳になったオレは笑っちゃうぐらいに二十歳の頃の自分を思い出せないぜ。
二年目の浪人生活はそれほど不毛だったのだろう。
嫌な思い出も輝かしい記憶もないのだから。
アイルトン・セナもカート・コバーンもまだ生きていた1991年のことだ。

 

そんなことをぼやぼや考えていたらラモーンズが聴きたくなった。
自分自身としては、あまり思い入れがあるほど聴いてこなかったバンドなのだが、二十歳の頃の自分を思い起こしているBGMとしては最適だなと思った。

 

それから くるりの “There is(always light)” を聴いた。
ああ、ロマンチック。
こんなBGMが似合う、そんな格好の良い二十歳の頃を過ごしたかったもんだぜ。

そこに秘められた店としての志

昨日、店の片隅に立てかけてある Letter Board の文字列が爆発的にさりげなく差し替えられていることを発見し即座に私はピンと来ました。

 

「ハハ〜ン、これは息子(来月五歳)がいたずらをして、でもそれがバレないように、自分なりに戻してみたに違いないな!」と。

「でも、スペルなんつーことはもちろん知らないわけで、息子なりにバランスよく仕上げたつもりなのだろう。これで完璧だ!」と。

 

こんな何気ない出来事に息子の成長を感じるのです。
誤魔化すとか、嘘をつくとか、責任転嫁するとか、まあいけないことではあるのだけれども、そういうことも出来るようになったのか〜ヨシヨシ!
と親バカなバカ親なので感心してしまうのです。

 

この Letter Board 。
私的には大いに気に入っている代物なのですが、未だお客さんから感心を持っていただいたことは一度もナッシング。
これは、ある意味、DOODLIN’ BARBER SHOP の志を現しているつもりの物でしてね。
表記しているのは、いろいろ様々な音楽のジャンルで、当店はそれらをない交ぜにただただ気分で流している店なのですよ……と云う、まあほんわかとした意思表明(裏コンセプト)みたいなものなのです。

 

はてさて。
しかし、この息子のいたずらの痕跡をどうしたものか。
このままにしておきたい気持ちもあるが、これを見た方に「あれ?スペル間違ってね?しょせんそんなものなの?」と思われるのも甚だ癪なので、ひとまず写真に収め、後で息子に「これをやったのはキミかい?」と確認してから修正するとしましょうかね。