人はそれを “青春” と呼ぶらしい

今、読んでいる本の主人公(大学生21歳)が

「自分はもう決して断じて若くない。
まさに夢の終わり、どん詰まりだ……」

と嘆いているのです。

その理由を

「僕は21歳。マイケル・ジャクソンなら実質的ファースト・ソロ・アルバム《オフ・ザ・ウォール》で成功を収め、プリンスならサード・アルバム《ダーティー・マインド》をリリースし、ジョージ・マイケルは〈ケアレス・ウィスパー〉と〈ラスト・クリスマス〉を世界的なヒットソングにしているじゃないか!」

とシャウトしているのですが、今風に言えば「どんだけ〜!」って話ですよ。

比較している方々がすごすぎる。
若造が何を仰りますか!
ハハハのハ!

と嘲笑してしまう私はやはりダサい凡人なのです。
私が21歳のときなんて、余裕でまだまだこれから〜!だなんてハシャイでましたもの。
一片の焦りもなく、鼻くそほじって、ヨダレ流しながらぼんやりしてましたもの。
そこで「マズいぞ!」と思える人は、何かを成し遂げることが出来るような気がします。

にしても、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルが成した21歳の仕事が凄まじい。
天才以外の何者でもないどころか、もはや怪物だなと。

21歳。
ジョン・レノンはすでにポール・マッカートニーと出会ってたし、ジェイ・ケイはすでにジャミロクワイの構想を練り始めてたし、Qティップは《ロウ・エンド・セオリー》をリリースしてたっつーんだから、まいっちんぐである。

ともあれ、私はすでに52歳。
今から何か出来ることはないだろうか……
きっとあるぜ!
と信じて、今日もせっせと生きましょう。

股旅。

離れてみてわかる愛しさと大切さ

愛車のカングーが二年に一度の車検だぜってことで、昨日から乗らせていただいている代車 “シボレー アストロ” 。

愛車に乗れないのは寂しいけども、こういう運転したことないクルマ、今後の余生できっとチョイスしないだろうな〜ってクルマに乗れるのは楽しい。

今回はタイミングベルトの交換なんかも合わせてやっていただくので、ちょっとだけ長いお別れ。
でも、それはまだまだカングーに乗り続けるんだぜって決意表明でもある。

違うクルマを運転してて、楽しいのは ほんの二、三日。
すぐに恋しくなっちゃうのよね。
で、久々に運転した瞬間「う〜ん、これなんだよな〜これこれ!」ってしみじみ実感するのがまた楽しいのである。
というわけで、まだまだ我が家にお付き合いいただきますぜ、カングーちゃん。

胸がドキドキ

どうもこんにちは。

本日めでたく図々しくも、さりげなく52歳にならせていただいた “DOODLIN’ BARBER SHOP” 店主です。

おぎゃんとこの世に生まれ落ちてから そんなにも時間が経ってしまったのかと思うとお腹の底がひんやりします。
ともかくまあ、周りに溢れる愛に感謝しなくちゃですよね。
ありがとうございます。

それにしても 52歳 ってどうなのよ?

って感じなんです。

昨年、51歳になったときは、51歳と言えば、ほら向田邦子さんや、ビル・エヴァンスが亡くなった年齢だよね……とか、51と言えば、ほらイチローの背番号だし、なんだか響きもイイじゃない!
なんて感じ入ることが出来たのですが、何もイメージがないんですよ 52 には。

ってことで、調べてみたら、フランソワ・トリュフォーとかフランク・ザッパとか、中島らもさんが52歳で亡くなったんだとわかり、そういえばそうだったなと今更ながら52歳を噛み締めることにしました。

この誰かが亡くなった年齢を意識してしまう辺りが、私も五十路になったんだな〜と痛感させられる次第であります。
せっかくの誕生日なのにです。

とまあ、そんなわけで 52歳。
イイ塩梅で力を抜いていければと願うばかり。
まだまだ発見があるだろうし、ドキドキワクワクな冒険も待っているに違いない。
もうないだろうと思っていた新たな感動もあるだろうし、そう考えるとあまり脱力ばかりもしてられないですね。

では、そんなわけで股旅立ち。

相変わらずこんな日常

店で邦楽を流しているとお客さんに驚かれることがままあるのです。

「日本語の曲が流れてるの初めてですよ!」

なんて絶叫されて、こっちの方が驚いているのです。

だって、自分的にはかなり邦楽をナイスチョイスしているつもりなんですよ。

ま、たしかに忙しいときには洋楽を流してることの方が多いかも。

日本語だとグイグイ脳内&体内に入って来ちゃうもんでしてね。

仕事のクオリティに支障が出ることはないけども、多少スピードが落ちるんですよね。

多忙のときには向かないかもですね、邦楽。

あ、インストの曲は結構流してますが。

だから、いつも週末に来てくださっているお客さんたちは洋楽が流れている印象なのかもな〜だなんて推測しているところです。

近頃こんな話題が続いたもんですから、棚の奥からおひさしぶりの邦楽のレコードを引っ張り出して、ついでに邦楽のミュージシャン関連の本も、またペラペラと目繰り返したりしてるのです。

ミュージシャンの “眼差し” が好きなんですよ。

世界の見方、人の見方、仕事の見方、いろいろと「ふ〜む、なるほどね……」と嘆息させられることがままあって、自分自身の生きる指針、これから店がどの方向へ向かうべきかの参考にさせてもらっているんです。

洋楽のミュージシャン本もたまに手に取りますが、生活スタイルも文化も違うし、スタイリッシュ過ぎてなんだかもう映画の中の憧れの世界って感じでね。

ちょっと、いやかなり遠いんです。

僕にとっては。

その辺をわきまえておくっつーのも必要なんだぜと己に言い聞かせるエブリデイであります。

相変わらず、こんな日常なのです。

股旅。

胸躍る未知との遭遇

おはようございます。
このまま順調に行けば一ヶ月後ぐらいに五十二歳になる予定の床屋のオッサンです。

先日、何気なくネット上をブラブラしてたら、敬愛する某画家さんが愛聴しているレコードを幾つか紹介しておりまして。

その中で「こ、これはっ!」とピピーンと来たアートワークのジャケットのものがあったので、すかさず検索して聴いてみたらビンビンに来まくっちゃいまして「こ、これだっ!」と相成ったわけです。

「これはもう、今後の人生、いや余生の指針になるアルバムになるに違いないぜ!」

と私の直感が叫ぶわけです。
こういう空気感、こういう音感、こういう響きが自分を、そして店を作って行く……なんて素敵なんだろう。
妄想が止まりませんよ。

いっぱい沢山好きな音楽がありますが、こういう気持ちにさせる音って別物なんですよね。
それは最早「音楽」だけには留まらないものなわけで、世の中にある様々な自分の心を震わせる物事の中で「なんかこうグッと来るスゴいもの!」というちょっとバカっぽい呼び方になってしまうのですが、まあつまりそういうもんと出会ったわけです。
最高です。

こういうものって、狙ってたり探してたりすると案外見つからないもので、ぼんやり鼻くそホジホジしながら宙空を見つめているときに「やあどうも!」なんつって爆発的にさりげなく現れるから憎らしい。

次はいつになるかわからないし、下手したら死ぬまで遭遇しないかもなので、この出会いを大切にしようと思います。

ちなみにこのアルバムは、Allen Toussaint の “The Bright Mississippi” です。
この「音」が似合う自分、似合う店になりますように。

でも、この一文は坂本龍一さんの『音楽図鑑』を聴きながら書いております。
たまらんです。

それでは股旅。