快適なスピードで

もう六月が終わろうとしているのに、今年はまだ一度も虫取りに行っていない。

息子も小学五年生になり、もう昆虫には興味がないのだろう。
私が散歩ついでに「ガッシガシ獲れそうな樹をみつけたぜ!」と報告しても、あまり乗って来ないのだ。

それよりもコレなんだよ!
と、国旗がどうしてそういうデザインになったかとか、近代世界史だとか、自分で考えているオリジナルSFストーリーの設定やら物語の展開などの、今自分が惹きつけられはじめたアレコレの話ばかりなのである。

でも、まぁそりゃそうか。
むしろ、そうでないとダメよね。
子どもは成長するものなのである。

あれだけ夢中になっていたガンプラ(アニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデルの略称)も、以前ほどの熱はなさそうだ。
それよりも戦車や軍用車両のプラモデルに目を輝かせている。

バンダイからタミヤへ。
この流れは自然なことなのかもしんまい。
私も四十年前にプラモデル製作に没頭していたが、ガンプラを作っていたのは僅かな間。
タミヤのミリタリーミニチュアシリーズやNITTOのS.F.3.D(後のマシーネンクリーガーね)に夢中になってたもんな。

ということはだ。
息子が中学に上がる頃にはプラモデルも作らなくなっているかも。
早いなぁ。
早いけど、そんなスピード感であの年頃のコたちは生きているんだもんな。
そりゃそうか。

そして今、私はどんなスピード感で生きているのだろうか。
近頃よく店のBGMで流しているのは、ジェームス・イハ、デ・ラ・ソウル、ザ・ルミニアーズのオレちゃん的三大巨頭。
しょっぱい懐古趣味とかではなく、とっても攻めている新しい音楽のように聴いている。
いい感じである。

猛スピードではないが、徐行運転でもない。
快適なスピードで生きられている気がする。
新譜はほとんど聴いてない。
すでに持っているものの中から自己発掘している感じだ。
プラモデルも散歩も楽しい。
これらも急ぐことなく、快適なスピードで製作できているし、歩けている気がしている。

息子のスピードを見守ろう。
それが大人の役目&役割よね。

なんつって。

それもまた幸福

四十数年前、まだ小学生だったときに夢中になっていたプラモデル製作。
あの頃の自分と近い年齢になった息子が昨春にハマり始めたのに便乗して一緒に作り始めて一年が経った。

ずっとずっと苦手意識が強くて挑戦して来なかった迷彩塗装。
迷彩 or 単色だったら迷わず単色塗りをチョイスして来たのだが、これは乗り越えなくてなならない壁。

そういうタイミングというのは突然訪れるものなのだね。
不意に「よっしゃ!」と思い立ち、『タミヤ 1/35 レオパルト2A6戦車 “ウクライナ軍” 』でやってみたら案ずるより産むが易しとはこのことか。
まさにこのことであった。

多少、いや物凄く粗は目立つが初めてにしては上々の出来。
誰も褒めてくれないし、褒めてもらおうとは思わないもの、それが模型作りの真髄だと思うのだが、案外うまく行ってホクホクなのである。
「やれば出来るじゃん!」
とコッソリ己を褒めちぎっているのである。

この年齢になっても初めての挑戦が出来るというのはとても幸福なことじゃないか?どう?と思うのだ。

早朝や空き時間に独り黙々と打ち込む この趣味は、私に色々なことを与え教えてくれている。
仕事以外で「もっと上手になりたい!」と心底思えることがあるってことも、とても幸福なことだと思うのである。

これからの人生。
散歩と音楽鑑賞と模型製作。
この三つの趣味を心の拠り所にしていこう。

それでは股旅。

小さな不思議

G-SHOCK の時刻合わせをしようと思ったのだが、毎度毎度、必ず手こずるのである。
合わせる手順を全く覚えていないのだ。
毎回、次回のために覚えておこうと緩い決心をするのだが、見事に記憶から抹消されているのは何故なのだろうか。

ネクタイの結び方も然りである。
毎回「ネクタイ 結び方」で検索している。
そして「よし覚えた!」と思い込んではいるのだが、いつも完っ全に忘却の彼方だ。

わかっている。
そもそも覚えようって気がないのだ。
「覚えるぜ!」ってのは、いつもその場限りのポーズなのだ。
何でどうして、私はそんな人間になってしまったのだろうか。

一発で覚えられることもある。
だから、その能力が欠けているわけではないのだろう。
その知識を必要とする機会が著しく少ないからってのは、大きな理由の一つだろう。
多ければ覚えないわけにはいかないわけで、いやしかし、自分でこれ書いてて「何なのこれ?」って思えてきた。

自分の中では、面白い展開になる予定だったのだが、完っ全に着地点を見失ってしまったようだ。

これはあれか。
漫画でいうと、『ドラゴンヘッド』(望月峯太郎著)や『GANTZ』(奥浩哉著)的なロスト感か?
あの、行き当たりばったりの極致的なカタルシス的なアレか。
いや違うか。

ともあれ、オレの G-SHOCK は正しい時間を刻み始めたぜ。
この安心感を現す日本語は多分ない。

人はそれを “青春” と呼ぶらしい

今、読んでいる本の主人公(大学生21歳)が

「自分はもう決して断じて若くない。
まさに夢の終わり、どん詰まりだ……」

と嘆いているのです。

その理由を

「僕は21歳。マイケル・ジャクソンなら実質的ファースト・ソロ・アルバム《オフ・ザ・ウォール》で成功を収め、プリンスならサード・アルバム《ダーティー・マインド》をリリースし、ジョージ・マイケルは〈ケアレス・ウィスパー〉と〈ラスト・クリスマス〉を世界的なヒットソングにしているじゃないか!」

とシャウトしているのですが、今風に言えば「どんだけ〜!」って話ですよ。

比較している方々がすごすぎる。
若造が何を仰りますか!
ハハハのハ!

と嘲笑してしまう私はやはりダサい凡人なのです。
私が21歳のときなんて、余裕でまだまだこれから〜!だなんてハシャイでましたもの。
一片の焦りもなく、鼻くそほじって、ヨダレ流しながらぼんやりしてましたもの。
そこで「マズいぞ!」と思える人は、何かを成し遂げることが出来るような気がします。

にしても、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルが成した21歳の仕事が凄まじい。
天才以外の何者でもないどころか、もはや怪物だなと。

21歳。
ジョン・レノンはすでにポール・マッカートニーと出会ってたし、ジェイ・ケイはすでにジャミロクワイの構想を練り始めてたし、Qティップは《ロウ・エンド・セオリー》をリリースしてたっつーんだから、まいっちんぐである。

ともあれ、私はすでに52歳。
今から何か出来ることはないだろうか……
きっとあるぜ!
と信じて、今日もせっせと生きましょう。

股旅。

離れてみてわかる愛しさと大切さ

愛車のカングーが二年に一度の車検だぜってことで、昨日から乗らせていただいている代車 “シボレー アストロ” 。

愛車に乗れないのは寂しいけども、こういう運転したことないクルマ、今後の余生できっとチョイスしないだろうな〜ってクルマに乗れるのは楽しい。

今回はタイミングベルトの交換なんかも合わせてやっていただくので、ちょっとだけ長いお別れ。
でも、それはまだまだカングーに乗り続けるんだぜって決意表明でもある。

違うクルマを運転してて、楽しいのは ほんの二、三日。
すぐに恋しくなっちゃうのよね。
で、久々に運転した瞬間「う〜ん、これなんだよな〜これこれ!」ってしみじみ実感するのがまた楽しいのである。
というわけで、まだまだ我が家にお付き合いいただきますぜ、カングーちゃん。