一度に全てを望んで マッハ50で駆け抜ける

デヴィッド・ボウイの “Modern Love” を聴くと走り出したくなると同時に泣きそうになる。

僕が高校生のとき、思いっきり背伸びして独りで渋谷か銀座に観に行った映画『汚れた血』(レオス・カラックス監督作品)の劇中で使われてて、その場面で鳥肌立っちゃって、うわースゲースゲースゲー!ってなったのを覚えている。

そんな三十数年も前のことが、 “Modern Love” の前奏を聴いた途端にグワワワって甦ってきて、ほんの昨日のように感じられて、今そこにいるような錯覚まで起こしちゃって……いやはやホント音楽の力って凄まじいなと嘆息が止まらないのである。

でも、そんな気持ちにさせてくれる音楽は少ない。
数えるほどしかない。
大好きな曲はいっぱいあるけど、そういう僕の中の何かを爆発させるような音楽はほとんどない。

誰かにとって、そういう音楽でも、僕にとっては、そういう音楽じゃない。
誰かにとっての宝物が、僕にとってはガラクタで。
誰かにとってのガラクタが、僕にとっては宝物になる。
それが面白い。
それが愉快で痛快でスペクタクルで興奮する。

身も心も日々オッサン化する中で、誰かの宝物を少しは大事にできるようになって来たような気がちょっとだけする。
自分の宝物はもっともっと大切になって来ている。
それはとても良い感じなのである。

DOODLIN’ BARBER SHOP は今年の十月で開店して二十年になる。
己の飽くなき探究心を詰め込みまくった我が店、我が同志。
今年で二十周年か……
あんなこと、こんなこと。
チャレンジしたいことも密かにある。
色々あれこれやれたらいいなぁと思う。

そんなわけで、あらためまして今年もヨロシクです。

股旅。

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
一年の計は元旦にありと申しますが、果たしてどのような一日を過ごせば良いかな?どうかな?

と思案しているうちに陽が傾き始めましたよ。
そっか、そんな一年になるんだな。
それってどんな一年?
わからんよ。
そんな感じで過ごしてます。

とりあえず、作りかけだったプラモを仕上げてみました。
とてもいい感じに仕上がって大満足。
これが、息子に教えてもらった塗装法をやってみたんです。
だって、すごくカッコよく塗ってやがるんですもの。
老いては子に従えでしたっけ?
まだまだナイスミドル真っ只中ですが、早くも実践してますよ。
で、多分それはきっと良いことだと思うのです。

もっともっと上手になりたい。
そんな気持ちは高まるばかりです。
仕事以外で、そう思える何かがあるって多分きっと幸福に違いない。
そう信じたい2024年であります。

こんなしょうもない駄文をヘラヘラと書いてたら、Apple Music ちゃんが フィッシュマンズの “バックビートにのっかって” をナイスチョイスしてくれまして。
これまた幸先良いスタートを切れたんじゃないかと。

はてさて皆々様はその後お変わりなくお過ごしでしょうか。
旧年中は思い起こせば恥かしき事の数々、今はただ、後悔と反省の日々を過ごしおりますれば、どうかお許し下さい。
わたくしの妻さん、そして十歳九ヶ月になる息子の倫太郎、いずれも世間知らずの若輩者ではございますが、わたくしのかけがいのない肉親共でございますれば、何卒、ご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。

なお、わたくし事ではありますが、移転して八年半、移転前も合わせると今年で二十周年を迎えちゃうというアニバーサリーな一年になりそうな予感がムンムンである 私の店『DOODLIN’ BARBER SHOP』はもちろん、この日記、恒例となりつつあるオリジナルTシャツ、などの製作、昨年末に華麗に復活したレコード選曲など、相変わらず成長することなく愚かで無教養な内容ではありますが、一応、どれもわたくしのかけがえのない『作品』でありまするゆえ、今後ともくれぐれもお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。

とかく西に行きましても東に行きましても、土地 土地のお兄貴さん お姐さんにご厄介かけがちなわたくしではございますが、以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、今日こう万端ひきたってよろしくおたのみ致します。

末筆ながら首都圏郊外所沢市にて、辰年の本年が皆様にとって良い年になりますよう、そして貴方様の御幸福を心よりお祈り申し上げます。

2024年元旦
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主
高崎哲平 拝

濃厚濃密な一年をありがとうございました!

DOODLIN’ BARBER SHOP、本年も無事仕事納まりました。
ありがとうございました。

相変わらずですが、来年もやっぱり小規模自営の心得である三つの『S』。

“simple” で “slow” で “smart” な感じを目指していきたいと思います。
これがまた難しいのですが、そこがまた面白いんじゅないかと。

「いや、〜」「でも、〜」と言わない。

「積極的にご機嫌をとっていく」

「そこがいいんじゃない!」

これらも、引き続き来年も心にとどめていきたい所存であります。

漫画は『没有漫画 没有人生』望月ミネタロウ著
ドラマは『THE DAYS』
映画は『ゴジラ-1.0』
レコードアルバムは『Mutual Mutation』 Ogawa & Tokoro
プラモデルはマシーネンクリーガーシリーズ

これらが2023年のマイベストです。
正直、上半期の記憶が薄れてまして。
ほとんどが下半期、それも後半のまだ自分の中でフレッシュなものばかりになってしまいました。
だけどもだけど、そんなもんですよね。
年を重ねるごとに開き直りのスピードが早くなってます。
ルルルラララ。

ここに本年中に賜りましたご厚情に深く感謝いたしますとともに
明年も変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます

なお寒さ厳しき折柄一層のご自愛のほどお祈り申し上げます

令和五年大晦日
DOODLIN’ BARBER SHOP 店主 高崎哲平 拝

親友交歓

念願だった幼馴染が経営するパン屋「ベッカライテルタケ」にやっと行けた。

なぜ“やっと”かと言うと、うちの店と定休日が全く一緒で、なかなかどうして自分の営業日に片道40分は要するベッカライテルタケがある“ふじみ野”まで足を伸ばすことが出来なかったからである……と言い訳してみる。

ベッカライテルタケ店主の鳥飼くんは私が中学時代所属していたサッカー部の同期で通称“チェル”。
お互い50歳を過ぎた今も私は彼をチェルと呼んでいる。
多分きっと30年後もチェルと呼んでいるだろう。
呼ばなくなる理由がないからね。

チェルがパン屋を始めるらしいと聞いたときは驚いた。
確か彼は大学に行ってたと聞いたし、そもそもパン屋ってイメージが全くなかった。

いや待てよ……これってまるでオレじゃん!
なんで床屋?
私もいまだによく聞かれるじゃん!

にわかにチェルへの新たな親近感が湧いて来たんだった。

それも最早五年前のこと。
ベッカライテルタケは五周年を迎えたのだそうだ。
すごいなチェル!
頑張ったなチェル!

で、今回の初来店メインのお目当てはベッカライテルタケ謹製である“モーンシュトレン”。
昨年、チェルかサプライズで「これ食べてよ」といきなり持ってきてくれて、その味の素晴らしさに彼の辿ってきたであろうロングアンドワインディングロードが垣間見えたからだ。
即ちそこに感動があったのである。

一緒に購入させてもらったパンも全て美味しかった。
これからゆっくりじっくり食べさせていただくモーンシュトレンも楽しみ。

五十代になっての床屋のオッサンとパン屋のオッサンとの繋がり。
これはきっと人生の宝物だろう。
感謝しなきゃな。

何に?
よくわからない何かにだ。

私がクリームパン好きだと言うことを覚えててくれたチェルの優しさにも感謝。

ふじみ野近辺にお越しの際は“ベッカライテルタケ”に是非お寄りください。
妖精のような可愛らしさと愛嬌を兼ね備えた店主がいますので。

股旅


それはただの偶然である。意味などはない。

さてと今回の日記は夏目漱石先生のことでも書くべかなとPCに向かおうとした瞬間ハッとしてグッと来たのです。

そうでした!
今日は夏目漱石先生の命日だっんだったん。
ピーンと閃き思い出しましたよ。

何この偶然!

と独りエキサイトしております。
と同時にゾクっともしました。
そういう気持ちわかるでしょう?

私が書こうと思ったのは夏目漱石が飼っていた猫の話です。
先生のデビュー作である『吾輩は猫である』のモデルとなった猫を後に先生は飼ったそうです。
で、その猫の名前が「ネコ」だったという話。

超有名な書き出し「吾輩は猫である。名前はまだ無い」に自身に寄せたのか……

いや、違うな。
多分、夏目漱石先生はそういう人だったのだろう。
可愛がっている猫を「おい!ネコ!」と呼んでしまう世間一般の考え方を軽々と超越してしまうセンスの持ち主だったわけです。
さすがです。
いろいろとぶっ飛んだエピソードをお持ちですが、私は以前にも増して先生に親しみを覚えましたよ。

さて。
久しぶりに『吾輩は猫である』を読んでみようかしらん。
なぜか、年の瀬に夏目漱石作品を読みたくなるものです。
と同時に、ニール・ヤングも聴きたくなってしまいます。
これはもうどうしようもないことなのです。
これはもう私の “性” としか呼べない代物なのです。

気まぐれに手に取った本『あした死のうと思ってたのに 』(吉本ユータヌキ著)が、とっても良かったです。
相変わらず “良い本” の引きが良いです。
ありがたし。

それでは股旅。